3240 世襲問題「麻生家の場合」 岩見隆夫

にわかに世襲論議だが、いまに始まったことではない。7年前ごろ、やはり解散含みの政情のなかで、自民、民主両党から世襲批判が起こり、当時、民主党代表の鳩山由紀夫は、
「私も4世だが、2世、3世ばかりが国会にいるのはおかしい。若い人の当選を阻んでいる。出馬制限を加えるべきではないか」
とあちこちでぶっていた。有望新人発掘論で党の魅力を高めようとしたのだ。
当時もいまも、4世議員は初代の当選が古い順から、小坂憲次(長野1区)、鳩山由紀夫(北海道9区)、鳩山邦夫(福岡6区)、古屋圭司(岐阜5区)、林芳正(参院・山口)の5人である。
3世議員は衆参で小泉純一郎元首相ら15人いるが、次期衆院選のあとは小泉家から6人目の4世が出るのかもしれない。
全体の世襲率も30年来、3割前後で、この流れは簡単に変わりそうにない。福田博元最高裁判事(元外務審議官)は先月出版した「世襲政治家がなぜ生まれるのか?」(日経BP社)のなかで、
<世界の民主主義国で例を見ない世襲政治家の多さは、すべて「1票の格差」を放置してきた最高裁の「不作為」から生まれている>
と司法を批判した。ゆがんだ選挙制度のもとで、有力議員の区割りが変わることはなく、世襲化を容易にしているという論法だ。
それも重要な指摘だが、世襲の裏側は複雑で、<土地と血と利害>がからむ日本的な政治土壌に根ざしてきた。政治と政治家の質を上げるため、見直しを図るのは遅きに失している。
ただ、世襲の内情は一様でなく、地盤・看板・カバンの3バン継承といわれるが、そうでないケースもある。たとえば麻生太郎首相は3世議員で、血のつながりはその通りだが、1世の祖父・吉田茂元首相と2世の父・麻生太賀吉元衆院議員の関係は世襲とほど遠い。
太賀吉は<石炭王>といわれた麻生太吉の孫で、豊かな資産があった。吉田に惚(ほ)れ込んで影のように寄り添い、1938(昭和13)年、三女の和子と結婚する。
<父は祖父の吉田茂に政治資金を湯水のようにつぎ込んだ。母の和子が祖父に、
「パパ、よくこれだけのお金に無頓着でいられるものね」
と言っても、
「麻生に任せてあるんだから、そんなこと知らんよ」
とまったく意に介さなかったという。首相在職中に、
「麻生家の財産は半分ぐらいになったんじゃないか」
とよく母が言っていた>
麻生は著書「祖父・吉田茂の流儀」(PHP研究所・00年刊)に、そう書いている。
太賀吉は政治があまり好きでなかったという。49年から3期衆院議員をつとめたが、それも第2次吉田内閣が少数単独で徹夜国会が続くのをみかね、少しでも義父の助けになれたら、という動機からだった。
選挙区も、吉田(高知)と違い福岡だから、地盤は世襲でなく、カバンは逆に支援者、看板だけは多少役立ったかもしれない。54年、吉田が退陣すると、太賀吉も政界を去っている。
麻生家2代は世襲に違いないが、麻生の政界入りは79年、太賀吉との間に四半世紀の空白がある。いろいろだ。
とはいえ、今回、自民、民主両党がマニフェスト(政権公約)に世襲制限を盛り込もうとしているのは、政治不信の根に世襲がある、という認識が深まったからだろう。勇断をもって、すっきりしてほしい。(敬称略)
杜父魚ブログの全記事・索引リスト

コメント

タイトルとURLをコピーしました