3244 1971年の包括的な対日米政策文書 古沢襄

<【ワシントン25日共同】米国が1971年8月にまとめた包括的な対日政策文書で、中国の国連安全保障理事会常任理事国入りに伴い、日本で危険なナショナリズムが台頭するのを防ぐため、日本の常任理事国入りを支持すると明記していたことが25日、明らかになった。
中国の常任理事国入りで「格下」となる日本が不満を募らせ、右傾化することを恐れた米国が、常任理事国入りを支持するに至った経緯が判明した。(共同)>
1971年は七〇年安保の翌年に当たる。第一線の政治記者からデスク入りした頃だが、私の認識としては日本の右傾化をほとんど感じていなかった。右傾化という言葉も吟味してかかる必要があるが、その指標となるのは日本国憲法の改正なのであろう。七〇年安保の当時は、憲法改正の論議も一部を除いては、それほど高まっていない。
しかし米国はいずれ日本で危険なナショナリズムが台頭すると予測していたことになる。
話は飛ぶが、ニクソン米政権下でキッシンジャー大統領補佐官が極秘裏に中国を二回訪問して、周恩来首相と直接会談を行なって米中和解への道筋をつけたのが1971年だった。このキッシンジャー・周恩来会談で、キッシンジャーは日米安保条約について重要な発言をしたことが後に分かった。
日米安保条約は中国を意識したものではなくて、日本の核武装を阻止するためのものだと極秘会談でキッシンジャーは周恩来に説明している。これはドイツ、日本嫌いのキッシンジャーにとって本音だったといえる。
ユダヤ系ドイツ人を迫害したヒトラーのナチス・ドイツを逃れて米国に亡命したキッシンジャーは、日独伊三国同盟を結んだ日本に対する警戒感を隠していない。それが日本嫌いの根っこにある。
キッシンジャーは2050年までには日本は再軍備、核武装をすると予言している。ニクソン政権下で最重要人物だったキッシンジャーは、その後の共和党大統領に隠然たる影響力を誇示してきた。
その脈絡からみると1971年の時点で米国が日本で危険なナショナリズムが台頭するのを防ぐため、日本の常任理事国入りを支持すると考えたのは故なしとしない。ただキッシンジャーの予測と日本の常任理事国入りが、ソ連や中国とも共有する考え方にならないまま今日に至っている。
オバマ政権下で日本重視のボールがさかんに投げられてくるが、オバマ米大統領にとって最重要課題は米国経済の立て直しであろう。そのためには日本と中国に米国債を支えて貰うのが必要になる。敵は本能寺にある。
そのことを除けば、米民主党は共和党よりも日本の右傾化に対する警戒感が強い。極論をいえば、北朝鮮の核武装よりも日本の核武装の方が脅威だと思っている。北朝鮮が核兵器をもっても、それがテロリストに渡らないかぎり、一旦ことがあれば沖縄から発進する攻撃機で潰せると考えているのではないか。
むしろ北朝鮮が瀬戸際外交に走り、日本が警戒感を募らせて、核武装に至らないまでも軍備を強化して、日米安保条約に頼らない自立国家を目指すことの方が米国にとって困る事態となるのではないか。
その意味で今になって1971年の包括的な対日政策文書が表沙汰になったのは、米国の意図的なリークと思わざるを得ない。
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