3245 小沢氏が辞任しない民主党の構造 花岡信昭

*誰も猫の首に鈴を付けられない
政治の世界の進展はめまぐるしい。ついこの間までは、麻生政権の支持率はガタ落ちで、次期総選挙で民主党政権の誕生は確定的とまで見られていた。いま、そういうことを言う人はほとんどいなくなった。
小沢一郎氏はなぜ民主党の代表を辞任しないのか。いま、小沢氏はどういう心境でいるのか。そうしたことをずっと考えている。民主党の幹部たちにさぐりを入れても、はかばかしい返事は返ってこない。だれもが当事者能力を失ってしまっているかのようだ。
筆者は政治改革論議が盛り上がっていた時期を中心に、一時はかなり濃密に小沢氏と接触していた経験がある。夕方、秘書から「午後8時、飯倉の中華料理店○○で待っていてほしい。適当に食べていてください」と連絡がくる。
当方もほとんど毎晩、予定が入っているから、その時点で会合の予約などをキャンセルするというのは大変なのだが、天下の小沢氏から声がかかれば駆けつけざるを得ない。
いつも小沢氏が座る席は決まっている(入口から見えない死角だ)のだが、先に行って料理を食べていると、かなり遅れて小沢氏がやってくる。別にどうしてもその晩に必要な話があるわけではない。来るかどうかを判断されているのである。
酒席では大変楽しい人だ。記者会見や講演などではとつとつとして、言葉を選びながらしゃべるタイプだが、そういう非公式な席では能弁だ。他人の悪口は平気だし、あけすけにものを言う。かなりの酒豪だが、酒は相手につがせない。自分で飲む分量を決めている。そのあたりの自己管理はたいしたものだ。
早い話、民主党の中で小沢氏の続投を望む声は、まったくといっていいほど聞こえてこない。だれもが、いずれは辞めるだろうと見ている。だが、だれもその首に鈴をつけられない。おそるおそる、その顔色をうかがっているという感じだ。
かつて勤めていた新聞社のトップにとんでもない人が(といった表現でご判断いただきたいが、社員の信頼度ゼロといって間違いなかった)来てしまい、社内の士気低下著しいという由々しき事態となった。そのとき、役員の間で3人だけ外されてひそかにクーデター工作が進行し、役員会で突然の解任動議が提出され、これが採択されて問題のトップを追放したことがあった。
社員たちは喝采を浴びせたが、民主党内でこれと同じようなことができないのか。幹部にぶつけてみると、党則には解任の規定はない、といったなんとも頼りない返事が返ってきた。
*時間を稼いでも、事態は好転しない
小沢氏は表向き「選挙に影響が出るかどうかを進退の判断としたい」としている。本心は、東京地検の捜査が継続中であること(代表を辞任したとたんに直撃を食いかねない恐れがある。かつての金丸信氏がそうだった)、仮に岡田克也氏あたりを後継者とした場合でも政治力をいかに保持するか(選対本部長として事実上、選挙を仕切るなど)、といったことに腐心しているのではないかと思う。
それにしても、民主党の幹部たちはなんともふがいない。党勢の維持を第一に考えれば、こういう不祥事が起きたときは、とりあえず代表辞任でエリをただすというのが政治の世界の常識だ。時間がたてば世論が許してくれるというものではない。
自民党側から二階俊博氏らが摘発され、そのことによって小沢氏への風当たりが弱まることを狙う、といった観測が通じるとも思えない。仮にそういうことになったとしても、二階氏が閣僚を辞任すれば、こちらの話は一過性のもので終わる。
今回の東京地検の摘発を真正面から考えれば、田中角栄型政治を金丸氏が引き継ぎ、さらに、小沢、二階氏らがそうした流れの延長上に存在し、現在に至っている、という構図を描くことは可能だ。公共事業を背景にした政治と業界の癒着の構造である。
だが、東京地検がそこまでやるのかどうかは定かではない。やるのだとすれば、すでに着手しているはずだ。かつてならば修正申告ですんだはずの政治資金規正法違反(虚偽申告)であるのに、額がちょっと多いから、担当していた公設第1秘書の逮捕・起訴に踏み切った、といったあたりが政界の受け止め方である。断っておくが、これは是非論を抜きにした実態論である。
そうであるならば、小沢氏が今後、しばらく控えていた地方遊説などで懇切丁寧に説明すれば国民は納得するのかどうか。これもにわかには信じがたい。だいたいが、選挙を前にして「言い訳」に終始していたら「勝ちぬくぞ!」といった勢いなど出るわけがない。
*小沢氏の本質は「さびしい人」
麻生首相は総理大臣の心境として「ドス黒いまでの孤独感」といった表現を使ったが、実は小沢氏も孤独な存在である。いま、本当に心を許してなにごとでも相談できる側近がいるのかどうか、そこが不透明だ。側近のような顔をしている人はいるが、実際は「誰も信じない」というのが小沢氏であるといって過言ではない。
小沢氏の人間像を、筆者個人の体験から解説することを許していただければ、「さびしい人」なのではないかとも思う。政治家も新聞記者も「急に冷たくされた」などと関係断絶を嘆き、去っていく人が多いのだが、これは小沢氏の本質をつかめなかったためである。
小沢氏は原理原則主義者ともいわれ、合理主義的な精神の持ち主ともされる。たしかに、政界実力者に共通する「周辺に一族郎党を常に集める」といったことは嫌う。べたべたした人間関係を維持するのはあまり意味がないと思っているのかもしれない。
だから、小沢氏の感覚を想像すれば、「いま、おまえがオレにとって必要な存在であるのかどうかぐらいは、この世界にいる以上、自分で判断しろ」といったあたりにあるように思える。これを勘違いして「冷たくされた」「電話にも出なくなった」「切られた」と去っていく人が多いのだろう。小沢氏にしてみれば、その程度の人物ならばオレには不要、ということになる。
*今後の行動が読めない小沢氏の怖さ
小沢氏は長い政治家人生で、国会の委員会質問に立ったことがほとんどない。政策通の理念派と見られる半面、「政策よりも政局」タイプである。政局を大転換させようというときには、宮沢政権崩壊、細川8党派連立政権の樹立、小選挙区制導入の荒業などに見られるように、ダイナミックにポーンと飛んでみせる。
これを「ワープ」と呼んだ人がいた。宇宙空間をひとっ飛びするときに宇宙戦艦ヤマトが使う航法である。次の瞬間にはまったく違う次元にすっと立っているといったイメージだ。
これが周辺に恐怖感を与えている。常人にはとっさには理解しがたいダイナミズムがあるものだから、「こちらの対応をひとつ間違えると、何をされるか分からない」という不気味さがつきまとうのだ。
一昨年の大連立騒動で、いったんは代表の辞任を表明、周辺の必死の説得でこれを引っ込めたが、あのとき、民主党の大方の幹部に去来したのは、「党を割って出ていってしまうのではないか」という思いであった。
民主党は自民党から旧社会党までの出身者で構成された寄せ集め集団である。小選挙区選挙を戦うための選挙互助システムという側面からいつまでたっても脱皮できない。
小沢氏が「重石」の役割を演じて、なんとか結束力が維持されているというのが実情だ。その小沢氏に対して、いま、党内では「新進党瓦解」のときの悪夢が頭をよぎっているようだ。
小沢氏は新進党が分裂した理由について、「公明党が独自にやらせてくれと言ったことが大きい」などと説明していたが、「壊し屋」の異名はこれで確定的となった。
民主党の多くの議員たちに、そのときの衝撃が改めて重くのしかかっている。「代表辞任を迫ったりすれば、手勢を引き連れて出ていってしまうのではないか」というのだ。
とかく小沢氏は面倒くさがり屋で、常に説明不足だ。「そんなことぐらい、自分で判断しろよ」と突き放す。その出方がなんとも読めないことが、こういう重大な局面で民主党幹部たちの手足を縛ることになる。小沢氏と「刺し違え」て、辞任を求めるといった迫力も出てこない。
かつて小沢氏から「政治を動かすには50人いれば十分だ」と聞いた言葉が頭から離れない。この発想から、新生党や自由党の設立、自民党との「自自連立」、民主党との「民由合併」といった政治行動が生まれたのであった。
小沢氏を中心とする民主党内の「派閥」一心会のメンバーはざっと50人だ。この50人を引き連れて民主党を割って出るといった行動は、いくらなんでも想定できない、というのが党内の大勢だ。だが、「もしや」という不安がついてまわる。
この局面で政権交代はとてもではないが無理だと判断したら、小沢氏のことだから、民主党代表にしがみついている理由はなくなるのである。
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