3301 「愛国の花」について 渡部亮次郎

渡邊はま子(故人)の歌った「愛国の花」がインドネシアのスカルノ元大統領の好きだった歌として有名になったのは、深田祐介(ふかだゆうすけ)が 1970年代に小説『神鷲(ガルーダ)商人』で取り上げてからだった。「神鷲(ガルーダ)商人」深田祐介著は 文春文庫。
深田祐介1931(昭和6)年、東京生れ。暁星高校を経て、55年早稲田大学卒業。日本航空に入社し、海外駐在員、広報室次長を歴任。83年退社し、作家活動に専念。76年『新西洋事情』で大宅壮一ノンフィクション賞、 82年『炎熱商人』で直木賞を受賞。
昭和33年、インドネシアに対する賠償協定が調印されたのに目を付けた日本商社は、巨額の利益を求め画策する。その翌年、日本を訪れたインドネシア大統領スカルノは、ナイトクラブで美貌の歌手、根岸直美を見初める。戦後の日本、アジア関係の原点となる賠償に巻き込まれた人間たちのたどる数奇な運命。
インドネシア大統領第三夫人となった直美は、異国での軋轢に傷つきながらもスカルノの愛情を励みに、確固たる地位を築き上げていく。一方、彼女を利用し、巨利を貪り続けようとする日本商社の思惑と、それをめぐる男たちの野心は何をもたらしたのか。果たして、戦時賠償はインドネシアを救うという神鷲だったのか。
ここで「直美」として描かれているのが、当時、東京・赤阪のクラブ「コパカバーナ」でホステスをしていた根本七保子である。
<翌年、日本を訪れたインドネシア大統領スカルノは、ナイトクラブで美貌の歌手、根岸直美を見初める。>と小説では描かれている。そこで2人の心を急速に近づける鍵が「愛国の花」なのである。
<スカルノは立ちあがり、部屋の隅のピアノの傍に歩み寄って、2番の歌詞を直美と一緒に、正確な日本語で歌い始めた。>
「真白き富士の けだかさを こころの強い 楯として 御国につくす 女等は 輝やく御代の 山ざくら 地に咲き匂う 国の花・・・
「新版 日本流行歌史(中)」社会思想社 1995年1月発行によると、「愛国の花」は昭和13(1939)年春の歌。作詞福田正夫、作曲古関裕而(独学)。この年、日本放送協会(敗戦後、NHKと名乗る)の「国民歌謡」として渡邊はま子が歌って好評を博した。
そこでコロムビア・レコードが5月に制作・発売、大ヒットした。4年後(1942年)11月には松竹(大谷松次郎、竹次郎双子の会社)が、これを主題歌にして「従軍看護婦の愛の物語」の映画が作られた。戦意高揚の歌より、叙情歌の方を兵隊たちが歌ったのは明日をも知れぬ命を歌ったからではないか。
愛国の花
作詞 福田正夫・作曲 古関裕而 
唄 渡辺はま子
二番 勇士のあとを 雄々しくも 家をば子をば 守りゆく 優しい母や また妻は まごころ燃ゆる 紅椿 うれしく匂う 国の花
三番 御稜威のしるし 菊の花 ゆたかに香る 日の本の 女といえど 生命がけ こぞりて咲いて 美しく 光りて匂う 国の花
ところで、作詞者の福田正夫は「日本の民衆派の先覚として早くから純粋詩壇で活躍した人」として知られた。
私自身としては、生まれて2年後の歌なので、戦時中、7つ上の姉が歌っていたのを聴いた覚えはあったが、ピンと来なかった。
ところが安倍晋三の祖父の岸信介の名がでてくるので、ついインドネシア賠償を思い出し、スカルノを思い出し、「愛国の花」が登場したわけ。
深田の小説「神鷲(ガルーダ)商人)を読んで、大学生の頃、当時の岸信介首相が対インドネシア賠償で、社会党から国会で汚職臭を追及されていたことを鮮明に思い出す。しかし昔噺になったようである。インターネットで「木下産商」と引いても、もはや該当するものは無かった。
スカルノが日本の歌「愛国の花」を歌えたのは、彼のオランダからの独立運動を援助した日本陸軍の将兵が歌っていたのを覚えていたからで、根本さんがこの歌を知っていたかどうか。
この独立運動については畏友で国際問題評論家の加瀬英明氏が小説「ムルデカ」を執筆している。インドネシアの独立を日本陸軍が支援して成就したものであることを日教組は教えない。
小説『ムルデカ 17805』加瀬英明 [著] 2001年5月5日発売{自由社)
 
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