3327 「世論調査で流れができてしまった」 古沢襄

小沢代表の辞任劇で毎日新聞のドキュメントが面白い。かなり早くから辞任に伴う”こぼれ話”を集めていた気配がある。毎日政治部のOBから政治評論家の三宅久之、岩見隆夫氏ら錚々たる人物を出している。
テレビで司会者が「これで自民党も麻生氏おろしがでますね」と言ったら、三宅氏が「それはありません」と言下に否定していた。机の上だけで考えていると、小沢辞任が自民党に波及して、麻生おろしが始まる・・・と風が吹けば桶屋が儲かる式の発想が出てくる。
記者会見では辞任の理由について小沢氏は、「挙党一致をより強固にするため」と建前論を言っていたが、盟友・石井副代表には「情勢を考慮したが、報道各社の世論調査で流れができてしまった。辞任という身の処し方をした方が総選挙にプラスだ」と本音を吐いていたという。
また菅代表代行に小沢氏から話があったのは、NHKの速報が流れて30分後。石井よりも約1時間以上も遅れての通告は、小沢の菅に対する「意趣返し」とも受け取れた・・・という辺りは、かなり広く網を張っていないかぎり出てこない。
<代表辞任表明は電撃的だった。11日午後2時20分、参院議員会館の自室にいた副代表・石井一に電話がかかった。小沢一郎からだった。「申し訳ないが、ぴんちゃん、腹を固めた」
「困る。なぜだ」と言い返した石井は1969年衆院初当選で、小沢と同期。参院議員会長・輿石東、参院議院運営委員長・西岡武夫らとともに熱烈な小沢続投支持メンバーの一人だ。
小沢は「情勢を考慮したが、報道各社の世論調査で流れができてしまった。辞任という身の処し方をした方が総選挙にプラスだ」。石井は「気にしすぎだ」と翻意を迫ったが「熟慮の末の決断なのですまん。身を引いて全力で政権を取る。政権交代は必ず実現させる」と言って電話を切った。
小沢の辞意を伝えるNHKの速報テロップが流れたのが午後3時ごろ。小沢、石井と衆院初当選同期ながら、小沢の早期辞任を求めていた最高顧問・渡部恒三は国会内の衆院予算委員会室後方の席に座り、代表代行・菅直人と話し込んだ。
記者団に「まさに賢い立派な決断をしました」と笑顔で語る渡部。しかし、菅の心境は複雑だった。菅も小沢に早期辞任を促したことがある。
その小沢から菅の携帯に電話が入ったのは速報が流れて30分後。「一致結束してやってもらいたい」と手短な電話だった。石井よりも約1時間以上も遅れての通告は、小沢の菅に対する「意趣返し」とも受け取れた。
    ◇
午後4時すぎ、小沢が国会近くの民主党本部に入った。「辞任ですか」と問いかける記者団に「記者会見します」と一言。吹っ切れた表情を見せた。
午後5時。民主党本部で小沢の会見が始まった。「挙党一致をより強固にするために」と題した文書を読み上げる小沢。「民主党にとって、私自身にとっても、何が何でも、ここで勝たなければならない。正に、身を捨て、必ず勝利する。私の覚悟、私の決断は、その一点にあります」
93年に自民党を離党して16年、大半が野党暮らしだった小沢の政権交代への執念が前面に出ていた。ただ、公設秘書が逮捕・起訴された西松事件については「政治資金について一点のやましさもない」とそっけなかった。
小沢を擁護してきた幹事長・鳩山由紀夫は午後6時45分、民主党本部で記者会見。小沢の辞任慰留のてんまつを明らかにした。
「(5月)2日に酒を酌み交わし、代表は『よし分かった。(代表を続けて)やろうじゃないか』という思いになった。しかしその翌日(3日)にまた(代表に)呼ばれて『党の結束のためには、自分が身を引いた方がいいのではないか』と言われた」
    ◇
自民党側はどんな反応を示したのか。鳩山の実弟、総務相・鳩山邦夫は「(代表辞任は)ずいぶん遅かったなという感じがする。兄にはずいぶん言ったが、兄も激しく検察批判をやっちゃってね」と、幹事長辞意を表明した兄をおもんぱかった。
党選対副委員長・菅義偉は午後5時半すぎ、首相官邸に首相・麻生太郎を訪ね、小沢辞任に伴う選挙戦略を意見交換した。菅は記者団に「もともとバラバラの政党。小沢さんの力でまとまっていたんだから。その小沢さんが辞めたんだから、求心力がなくなっているんじゃないか」と民主党への対抗意識を鮮明にした。
11日夜、東京・高輪のホテルにある中華料理店に約30人の支持グループ議員を集めた小沢は「一致団結して頑張っていこう」と改めてぶちあげたが、出席者は「会合の趣旨は『急でごめんね』ということだ」と説明した。(敬称略)(毎日)>
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