「世論」とやらに敏感な民主党が政治家の「世襲批判」に過敏に反応し、三親等以内には世襲さすべきではないなど、飛んでもない憲法違反の政策を持ち出した。
言い出しても結論は憲法違反で葬られるからただのリップ・サービスに終わることは言い出したご本人も承知のはずである。従って「世論」の側も世襲問題の本質は後継者だけといわず、われわれ日本人全体の「人間力」の劣化にあることに思いを致して、自らを恥じ戒めるべきである。
例のロッキード事件で「総理の犯罪者」となった故棚か角栄が自民党幹事長時代、目下の国会対策委員長園田直(すなお)を評して「俺も直(ちょく)には叶わない。あいつの度胸は敵を日本刀で斬った経験が作ったものだ」と言った。
確かに敗戦後、驚異の高度経済成長時代を支えた日本の政財界はじめ各界指導者に共通していたものは敵国との戦闘経験だった。弾を撃つのではなく撃たれた恐怖の体験だった。
彼らは撃墜される恐怖の中で身を守る中で度胸を養い、見通しを建て、秘策を練り、決断を下した。中には園田のように特別攻撃隊(特攻隊)に指名されて一度は死んだはずのところから奇跡の帰還を果たした猛者もいた。政界には何人もいた。
だから園田などは医者から「胃癌だ」といきなり宣告されても帰りの車中で高鼾をかいて眠っていた。水俣病の公害認定、日中平和友好条約の締結などの決断は戦場で養われた胆力がなさしめた。今の政治家はすべてが小型になって胆力も度胸も無い。2世、3世は特に無い。
何も再び戦争をして、このしたたかさを回復しろとは言わない。本来人間的に「常識」として持っているべき人間らしさを取り戻せということである。曰く、自分を厳しく律し、他人には広い包容力を持て。だが、経済成長にばかり夢中になっているうちにわれわれはみんな「自己中」に陥ってしまった。
歴史に学んだ洞察力も失ってしまった。世界をひろく見渡し分析する力も失ってしまった。従ってそんなものが2世、3世だと国会に出てきても国民を纏めて将来像を示す創造力を示せるわけもない。議員の世襲反対論が改めて出てきた背景はこうしたところだろう。
「世襲反対」はいまやこの国に満ちているが、どんなに考えても反対してもマッカーサー憲法に準拠する限り、これは憲法違反を奨励するに等しい。犯罪である。「第14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」。
議論はこれだけでも封印される。従って我々がみんなして考えるべきは「人間力を回復して、人間らしい毎日を取り戻すにはいかにすべきか」である。この際、2世、3世がどうなるかを考える事は実は嫉妬心に満ちた恥ずかしいことである。それよりは「人間力の回復」こそは我々自身で考えるべき課題なのである。
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