3345 上坂さんが書いた韓国の「しつけ塾」 岩見隆夫

ノンフィクション作家の上坂冬子さんが亡くなった。日本を代表する保守派の女性論客として評価が定まっているから、そのことは改めて書かない。
数年前、テレビでごいっしょした時、テーマは安全保障にかかわることだったが、隣席の上坂さんに、
「あなたとは意気投合できると思っていたのに、がっかりだわ」
と言われ、面食らったことがあった。私も年とともにいい加減保守化しているし、それは自然の成りゆきだと思っているが、上坂さんほど筋金入りではないということだろう。
『生体解剖-九州大学医学部事件』など数々のノンフィクション作品を残したが、私は『宰相夫人の昭和史』(文藝春秋・八八年刊)に大変お世話になった。池田満枝さんから竹下直子さんまで歴代夫人のことが、直接取材によってこと細かに記され、開いてみるとあちこちに赤線が引いてある。
上坂さんは首相夫人を知る第一人者のポジションを確保していた。廃刊になってしまったが、『THIS IS 読売』という月刊誌が九〇年七月号で〈歴代宰相夫人 政局を叱る〉と題する座談会を催した時も、当然のように上坂さんが司会者だった。
池田満枝、三木睦子、鈴木さち、中曽根蔦子の四夫人が出席していたが、〈男の権力闘争に揉まれて〉の副題がついていて、男性政治家の座談会なんかよりはるかにズケズケ発言が多く、面白かった。上坂さんの腕でもある。
今回書きたいのは、その話ではない。上坂さんは『産経新聞』朝刊一面に死の間際まで、〈老いの一喝〉というタイトルのコラムを連載していた。最後の文章は、たばこを吸わない上坂さんが禁煙論者を皮肉ったもので、死後に掲載されたが、思わず、
「そのとおり!」と声をあげたほどだ。
〈一喝〉シリーズのなかで、特に印象深かったのは、必ずしも一喝ではないのだが、昨年九月二十日付に載った〈あっぱれ「しつけ塾」〉の一文である。
〈耳よりな話を聞いた。
韓国に小学生のための「しつけ塾」があるという。
松下政経塾の杉本哲也氏がインターネットで探しあてたそうで、機械モノによる検索を小馬鹿にしていた私は恥じ入るばかりだ。……〉
という書き出しだった。
政経塾の男女四人の塾生がソウルから列車とタクシーを乗り継いで約六時間かけ、青鶴洞にある〈しつけ塾〉を訪問した時の話だ。このあたりは韓国の古きよき時代の面影を残す観光地で、地元の古老が子供たちに伝統的なお辞儀の仕方などを教えていたのが広まって、全国から親子が訪ねてくるようになった。
◇社会の無秩序の慢性化に親が心を痛めているか
いまでは、古寺を改造した施設がいくつもあり、小は二百人から大は八百人をブロック別に分け、地域全体で四千人ほどの収容能力があるというから、ハンパな規模ではない。
一部屋に二十人ぐらいずつ分宿し、若い教育経験者が同宿して生活指導に当たる。地区ごとに五十代から八十代まで、訓長と呼ばれるリーダーがいて、親はそれぞれの訓長の方針を確かめ、わが子にふさわしい人に預けるシステムなのだ。
八十代の古老は白装束に身を包み、生まれてから一度も手を入れたことのない長髪を韓国特有の山高帽のなかに収め、
「身体髪膚これ父母に受く……」
ではじまる儒教の精神を話して聞かせていたという。
滞在期間は一泊二日から長くて四週間、親は送り迎えだけで泊まらず、子供たちの宿泊代は一泊二千五百円、地元の山菜中心の食事で、飲み物は清水である。政経塾の四人はソウルに戻って、国会の教育常任委員会の重鎮と話し合ったが、
「韓国で〈しつけ塾〉が必要とされた遠因は、朝鮮戦争による南北分断以後、アメリカ文化を安易に受け入れすぎて伝統文化がすさんだこと、度を越した受験戦争が子供たちから遊び心を奪ったことなどだ」
と述べたという-。
上坂さんは、
〈いずこも同じ時代の流れと思うにつけても、《しつけ塾》を打ち出した韓国の底力に私は圧倒されている〉
と結んでいた。
この上坂コラムがなぜ印象的かと言えば、あっぱれという評価は私も同じだが、かりに日本にも同じような〈しつけ塾〉が開かれたとして、日本の親は子供を連れて訪ねていくだろうか、という不安が強かったからだ。多分、現状ではほとんど訪ねない。
日韓のこの違いはどこからくるのか。日韓とも社会の病理的な症状はよく似ていると思われる。上坂さんが言う機械モノが氾濫し、子供たちは内にこもる日常に陥りがちだ。しつけ教育は文化のアメリカナイズの流れのなかで、おろそかになってきた。日韓共通の悩みだ。
しつけ(躾)とは礼儀作法を身につけさせることである。つけさせるのはまず親、ついで教師、社会だろうか。しかし、親子関係は次第にゆるくなった。しつけのできていない子供がそのうち親になる。社会の無秩序が慢性化していく。そこで、
「なんとかしなくては……」
と親が心を痛めているかどうか。韓国は若い親の多くがそう思っているから、〈しつけ塾〉に馳せ参じた。私が日ごろ観察したところでは、日本の若い親たちは、ほとんど切実に感じていないように見受けられる。
私の世代はいまの子供たちを見て、親は何をしているのかといらつく。だが、考えてみれば、その親を育てたのは私の世代だ。きちんとしつけたか、と問われれば、はい、とは言えない。私の母親は四六時中、口やかましく子供を叱っていた。戦前のことである。私の世代は口やかましかったか。深刻な反省がある。
いまからでも遅くない。韓国の〈しつけ塾〉の精神に学ぼう。それを書き残してくれた上坂さんに感謝です。
<今週のひと言>舛添さん、露出オーバー。(サンデー毎日)
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