天安門事件で失脚した中国共産党の故趙紫陽・元総書記の軟禁中の録音が回顧録として出版される。
<[北京5月14日ロイター]1989年の天安門事件で失脚し、2005年の死去まで軟禁生活を送った中国共産党の故趙紫陽・元総書記の回顧録「Prisoner of the State」が、6月4日に事件から20年を迎えるの に合わせて出版されることが分かった。
この回顧録は、2005年1月に死去した趙氏の自宅軟禁中にひそかに録音された30時間にわたるテープをまとめたもの。趙氏に近い3人の人物に託されて中国国外に持ち出され、英語版と中国語版が出版される。
この中で、趙氏は事件当時について、「(1989年)6月3日の夜、家族と庭先に座っていると、激しい銃声が聞こえた」と振り返り、「世界を揺るがした悲劇は避けられなかった」と語っている。
当時、党最高指導者だった趙氏は、学生らの抗議活動を反共主義の陰謀とした中国政府に反論。「デモ隊のほとんどがわたしたちの問題点を是正するよう求めていただけで、政治体制の転覆を企てていたのではない」と主張していた。
また、天安門事件以降、中国共産党が取った保守的な政策は間違いだったと指摘。さらに、「(国に)活力をもたらすのは西側のような議会制民主主義で、そのゴールを目指さなければ、中国市場経済の異常な状況は解決できない」とも述べ、民主化の必要性を訴えていた>
ネットで検索したら英語のサイトが同書のハイライトを掲載していたので以下翻訳する。
<ハイライト:「国家の虜囚:趙紫陽の秘密記録」>
天安門広場大虐殺の20回目の記念日前に出版される「国家の虜囚:趙紫陽の秘密記録」の抜粋を報告する。
●天安門広場弾圧への趙紫陽の反対の結果は:「学生デモへの私の見方を主張し、力で取り締まるという決定の受け入れを拒否することによって、私はその結果が何であるか、私がどんな処遇を受けることになるか分かっていました。
私は完全に心の準備ができていました。私が私の見方をずっと保持するならば、私は最後に退くことを強要されるだろうということを知っていました。私が私の地位を保つか、若干の面目をたてる方向で私のポストをやめたいならば、私は私の視点をあきらめて、大勢に従わなければならないでしょう。 私が私の視点に固執するならば、私は退く覚悟が 必要でした」
●趙紫陽は弾圧反対をトウ小平に説明する:
「顔をつき合わせての会議で、私には個人的に私の意見をトウ小平に伝えること以外にいかなる選択肢もありませんでした。私がトウ小平との個人の会談を求めると、トウ小平は彼の家で正式な常任委員会会議を召集し、私は状況はすでに悪い方向へ転じたのだと理解しました」
「私は、以下の通りにざっと私の意見を表明しました。すなわち学生デモによる状況は悪化し、とても重大な局面になりました。学生、教師、ジャーナリスト、学者、一部の政府スタッフさえ、政府への抗議のためにデモ行進をしました。今日はおよそ300,000~400,000人が参集しています。
非常に多数の労働者と農民は同情的でもあります。政治腐敗と政府の透明度への熱い問題の他に、すべてのこれらの異なる社会的グループの主要な課題は、ハンガーストライキ学生に政府があまりにも冷淡で、そして彼らを救おうと何もしないことなのです。ハンガーストライキが続いて一部の人々が死ぬならば、それは炎の上に注がれるガソリンのようになり、我々が多数をもって対決的な姿勢をとるならば、我々の統治力を失わせる危険な状況が起きかねません」
「私が意見を述べる間、トウ小平は非常に落ち着かず、不愉快そうに見えました」
「結局、トウ小平は最終的な決定を下しました。彼はこのように述べました。『制御できないほど完全に螺旋を描いて失墜する状況が避けられないのなら、北京に軍隊を動かして、戒厳令を布くしかない』と」
●天安門大虐殺に関する趙紫陽の言葉:
「6月3日の夜に、私の家族とともに中庭に座っている間、私は激しい発砲音を聞きました。世界に衝撃を与える惨事は避けられず、ついに起こってしまいました」
●追放される趙紫陽:
「非難の末にずいぶん昔に捨てられた文化大革命スタイルの個人攻撃戦術は、私に対して使われ始めました。これらの戦術は、私を敵とする批評の記事で新聞を満たし、個人の自由を無視することを含みました」
「6月4日以後、彼らは私の処遇に際して『文化大革命が再び起きるのを防ぐために決定された第12回党会議決定』を無視しました。公然とその決定を破り、文化大革命の極左の戦術を再び取りました。これは、私がまったく予想しなかったことでした」
●西側の趙紫陽:
「最も多くの活力を示したのは、西洋の議会民主制です。このシステムは現在利用できる最高のものです。それは、民主主義の精神を明らかにして、現代社会での必要に応ずることができます」
「国が現代化することを望むならば市場経済を導入しなければなりませんが、それだけでなく議会制民主主義をその政治制度に採用しなければなりません。さもなければ、この国は健全で現代的な市場経済をもつことができませんし、それは法の支配による現代社会になることができません」
●趙紫陽の政治改革:
「我々がこのゴールの方へ進まないならば、中国の市場経済での異常な状況を解決することは不可能です。不健康な市場の問題、力による利権の獲得、すさまじいな社会的な横領、金持ちと貧乏人の格差の拡大。これを是正しなければ法の支配は実現しません」
「最終的な目的が議会制民主主義であるならば、政権党は2つの進歩を実現しなければなりません。ひとつは、他の政党と報道の自由を認めることです。これは徐々に進めることができますが、常に進め続けなければなりません。
第2の進展は、党内での民主主義です。つまり、党は民主主義の手順を採用して、党自体を民主主義的に改良していく必要があります。異なる意見の存在は認められなければなりませんし、異なる派閥は合法的に認められなければなりません」
中共は趙紫陽を排斥することでいびつな国家独占資本主義経済となり、社会の至るところで矛盾がたぎっている。天安門大虐殺はトウ小平、中共、人民解放軍への民衆の素朴な期待をすべて踏みにじったのだ。それから20周年。民主主義は依然として手錠をかかられたままである。
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3354 「国家の虜囚」趙紫陽の秘密記録 平井修一

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