安倍内閣が誕生した時に、これを復古主義の前兆と見立てて、打倒を誓った人たちが日本だけでなく、米国にも存在した。戦後レジームからの脱却という安倍晋三氏のスローガンは、戦前回帰の軍国主義、精神主義の響きがあると、一種の恐怖感を持った人たちである。あるいはその恐怖感を誇張して、政治的な復権を果たそうとしたと見ることが出来る。
安倍内閣が瓦解し、福田内閣が誕生した背景には、この力が働いた。福田内閣が短命に終わって、麻生内閣に誕生すると、形を変えた復古主義の再登場と見立てる空気があった。実は安倍内閣の中にも麻生内閣の中にも、このような考え方をする人たちが存在する。
戦後政治を思想という眼鏡で俯瞰すると、この両極に立つ考え方の対立、相克の歴史でもあった。興味深いのは、一方は”心の政治”に傾斜し、一方は”カネ・モノ政治”に鈍感な傾向がある。
さらには、必ずと言ってよいほど、中国に対する評価が分かれている。一方は対米依存・追従外交の脱却と日中外交に軸足を移したアジア外交の展開を唱え、一方は日中よりも日ソ外交の展開を主張した。
六〇年安保から七〇年安保までの十年間の日本政治を、この視点で斬ることが必要である。それはまた、日本の高度経済成長戦略と安定経済成長路線の戦いでもあった。
国内的に見れば、池田・田中路線と岸・福田路線の対立の歴史でもあった。久しく池田・田中路線が日本の保守政界の主流であったが、バブル経済の崩壊によって、岸・福田路線が保守の主流に返り咲いている。森、小泉、安倍、福田と続いた政権が、それを示している。
さらに興味深いのは、旧社会党が池田・田中路線に甘く、共産党がこの保守二大路線に対して一貫して対峙してきたことである。その意味では革新の主流は共産党おいて他はない。しかも共産党は、ソ連とも中国とも一線を画している。
小沢支配の民主党が政権交代を果たし、鳩山首相が誕生すれば、このところ保守主流の座にあった福田亜流の森、小泉、安倍、福田路線が後退し、池田・田中政治が復権を果たすという見方がある。
政権交代に失敗すれば、池田・田中政治は冬の時代に入るであろう。その意味で次の総選挙は戦後政治のうえで、いくつかあった分岐路の政治決戦の場となる。現状ではまったくの互角に選挙の様相を示している。
大きな流れをみれば、日本の右傾化は政権担当者に意識を越えて、森、小泉、安倍、福田、麻生内閣で少しづつ前に進んできた。時計の針は明らかに右に振れている。ただ、右傾化は単純な形では進行していない。
岸内閣の施策をみれば、外交右派、内政左派の形をとった。内政面でみれば、西尾民社党の福祉国家政策のほとんど取り入れ、成功しなかったが自民・民社連立政権まで模索していた。
高度経済成長戦略はバブル経済の崩壊によって一頓挫をきたしたが、日本経済の全体のパイを広げることによって、日本を世界第二の経済大国にする貢献を果たした面がある。
福田赳夫氏の安定経済成長政策は、「国民が借金を背負うのではなく、国家が借金する」との名目で福田氏が考案した国債増発政策を取り入れたが、安易な国債増発によって国の収支バランスを崩した面は拭えない。
しかし、日本列島改造をうたい文句にした高度経済成長戦略を再現することは不可能と言ってよい。新幹線網も高速自動車網も、すでに飽和状態にきている。工業立国、貿易立国の施策も、世界的な不況の嵐の中で、これ以上の進展は望めない。
すでに安定経済成長路線の中で日本の活路を見出すところに来ている。麻生首相は国債増発によって不況脱出を図り、鳩山代表は国費の節約を第一としている。いずれも後ろ向きの経済政策にならざるを得ない。
新型インフルエンザの国内感染が新聞紙面のトップとなった不運もあるが、鳩山代表の期待度は、世論調査でもそれほど高くない。むしろ「期待せず」が過半数を越えている。(読売)
その半面、民主党に対する期待度は久しぶりに自民党を上回った。ご祝儀相場もあろうが、日本の前途に対する国民の不安が世御調査で出たと見るべきであろう。混迷政局はしばらくは続くとみてよい。
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