北朝鮮が2度目の核実験を実施しましたね。現在、国連の場で対北制裁決議の中身をめぐって議論が始まったばかりでもあり、私には今のところ、これといってお伝えできる情報はありません。
まあ、長距離弾道ミサイル発射のときは対北制裁決議に反対した中国も、今回は「国連で流れもできているし、強い反応をとらざるを得ないだろう。アメとムチのうち、金融措置だとか、実効のあるムチを使う方に舵を切ってくるかもしれない」(外務省筋)との見方が出ていますが、まだ予断は許しませんね。
ちなみに、藪中三十二外務次官も昨日夕の記者会見で「一番実効性のある対応をよく関係国と話し合っていきたい。世界全体として、どういう対応を取るかが問われている」と金融制裁で世界各国と足並みを揃えたい考えを示唆しましたが、さてどうなるか。
そういう中で昨夜、安倍元首相が福岡市での講演で、次のように述べて「友愛外交」を掲げる民主党の鳩山由紀夫代表の外交姿勢を批判しました。鳩山氏が自身の外交政策として「国家として自立し、価値の異なる社会とも共生していける友愛外交を推進する」としていることは、以前のエントリでも記した通りです。
《鳩山さんは「友愛外交」なんていうことを言っています。友愛外交なんて、何を意味するか分からないわけですが、友愛外交が絶対に北朝鮮に通じないのは間違いないと思う。
2006年に核実験をした後、国際社会が北朝鮮に重油を供給することを決めた。6者協議に参加をしているアメリカも中国もロシアもそうだった。しかし私は当時、総理だったが、拉致問題が解決していない段階においては、一滴も日本は重油を供給できないと決定した。
そのときに、鳩山さん、民主党は「今、国際社会はみんな重油を供給しようといっているじゃないか。日本だけ供給しないということは、日本だけが孤立することになりますよ。安倍さん、それでいいんですか」と国会で質問をした。
「バスに乗り遅れますよ」と言ってきたわけです。私はこう答えたんです。「じゃあ、あなたはバスに乗っていったい何処に行こうとするんですか。めぐみさんをおいて被害者をおいて、私は絶対にそのバスには乗らない」と宣言したわけです。
あのときに、国際社会も一緒に、もっともっと、彼らが態度を変えるまで、私は制裁をぐっぐっと強めていくべきだったと思う。今度はその反省の上に立って、われわれは、我慢強さを持って、経済制裁はすぐには効果が出てきません。
ですから、民主主義国家においてはマスコミの厳しい批判にさらされるが、そこは我慢です。我慢して、効果が出るように頑張らなければならないと思う。》
では批判された鳩山氏は今回の核実験についてどう語っているのか。安倍氏の批判は当たっているのかピント外れのためにする批判なのか。鳩山氏は昨日は、被爆者団体との面会時のあいさつでこう語っていました。
《北朝鮮が核実験を行ったという話をうかがいました。信じられない思いで、厳しく民主党としても、この問題に対しても断固抗議をしていかなければならないと思っております。》
また、本日は党の常任幹事会でこう述べました。昨日に続き、「信じられない思い」を繰り返していますが、私は北朝鮮の核実験に怒りや不安、恐怖を覚えるのは当然だと思いますが、「信じられない」というのはそぐわないと思います。
《隣の北朝鮮では、大変けしからんことに、核実験を再開しました。とてもとても、信じられない思い。ぜひ、民主党としても、厳しい対応をしていかなければならないと思っており、ここは政調会長、幹事長のもとでしっかり頑張っていただきたい。》
…さて、核実験への言及部分が簡単すぎて、本当のところどう思っているのか、何をやるべきだと考えているのかやはりよく分かりません。
もともと鳩山氏は政治歴がけっこう長い割に外交に対する言及が少ない人でもありますし、安倍氏が「何を意味するか分からない」と指摘するように、鳩山氏の掲げる友愛外交がどんなものであるかはこの短いセンテンスからはきちんと読み取れません。
というか、そもそも次期首相候補がキャッチフレーズとしている政治的用語としての友愛とはいったい何なのか。鳩山氏自身は「自由と民主主義のある意味で架け橋となるようなもの」とも言っていますが…。
もともと鳩山氏の言う「友愛」とは、祖父の鳩山一郎元首相が1953年に翻訳したリヒャルト・クーデンホルフ・カレルギーの著書「自由と人生」(1938年刊)に依拠した思想だと伝えられています。
そこで、日本友愛青年協会が出している「『友愛』理解のために」という小冊子が抜粋・掲載しているこの「自由と人生」の関連部分を読んでみました。あまり直接外交にかかわる部分はありませんでしたが、この中で、カレルギーは世界の現実についてこう主張しています。
《近代世界は、こうした友愛的な精神とは大分に懸け離れている。それは生存競争、適者生存なる所謂ダーウィンの根本法則に署名しているのであって、即ち唯物論者なるボルシェヴィズムは、人種的な国家社会主義の如く、盲目的に此の戒律に服従する。両者ともに、生存競争は自然的生活の僅か半面を蔽うだけのもので、他の半面には第二の根本的法則、即ち相互の寛大と助力とを要求するところの戒律――即ち共同生活、換言すれば共存共棲友愛という戒律――の存在する事実を知らないのである。》
その上で、「今日こそ此の忘れられた第二の戒律を、国民やその指導者達の脳裏に喚び起し、彼等をして次の事実を思出させるように努むべき時機なのである」と書き、次のように強調しています。
《一切の友愛主義、一切の人道主義に対して、母性的感情はその核心をなすのである。若し主我的な生存競争が人生の男性的原理であるとせば、その相対的補足は此の女性的な原理に他ならない。母は実に我と汝との間の第一の、そしてまた最強の紐帯であって、彼女こそは一切の友愛主義の根源なのである》
…分かるような分からないような、不得要領な気分です。つまりは母性原理を再発見し、そこに回帰しろ、ということでしょうか。
ある種の思想としては尊重しますが、それをどう外交という権謀術数、だまし合いが当たり前で、かつ剥き出しの国益と国益が衝突し、ときに紛争・戦争という事態にも発展する場に落とし込むつもりなのか、いまひとつ、いやおおいに理解できません。では現実の核実験にどう対処するのか。
と、ここまで書いたところで、鳩山氏が本日の記者会見で語った安倍氏の批判に対する反論内容が入ってきました。関連部分は以下の通りです。
《たぶん、(安倍氏は)北風と太陽でいえば太陽戦略みたいなものを想定しておっしゃっているのかもしれませんが、太陽的な発想だけで北朝鮮のマントを脱がすことは難しいかもしれません。
合わせて、北風との両面作戦というものが必要なのかもしれませんが、私は、だからと言って、価値の違う国同士が、これをお互いに認め合わないような外交というものを脱却しなければならない、大変重要な局面に来ているのではないかと。そのように考えておりまして、友愛外交をこれからも、もっと模索をしていくことが、私は政府にとっても必要だと思っております。》
うーん、結局、どうしたいのか。北朝鮮の言い分を認めろと言っているのか違うのか。やっぱりつかみどころがないような気がします。私の理解力が不足しているだけかもしれませんが、どうなんでしょうね
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3397 鳩山代表の「友愛外交」について考えてみる 阿比留瑠比

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