3452 実妹の金敬姫も軍の推す金正雲後継を容認か 古沢襄

<北朝鮮の朝鮮中央通信は7日付で、金正日総書記が平壌音楽大学でロシア歌劇の舞台練習を指導、金総書記の実妹、金慶喜朝鮮労働党部長が夫の張成沢部長とともに同行したと報じた。
金慶喜部長は政治集会への出席が映像で確認されたことはあるが、公式報道に登場するのは異例。韓国メディアは3月、金慶喜部長の重体説を報じていたが、同月実施された最高人民会議第12期代議員選挙で再選された。
同通信はまた、金正日総書記が江原道高山郡の果樹農場でも現地指導したと報道した。いずれも実際の日付は伝えなかったが、金正日総書記の活動報道は3日連続となった。
8日の党機関紙「労働新聞」は、果樹農場での指導報道を写真とともに1面に掲載したが、歌劇の指導報道は2面で、写真は併用しなかった。(共同)>
<【ソウル8日聯合ニュース】北朝鮮・金正日(キム・ジョンイル)総書記の実妹、金敬姫(キム・ギョンヒ)朝鮮労働党軽工業部長が、金総書記の公式活動に同行し、注目を集めている。
朝鮮中央通信は7日付報道(8日未明に入電)で、金総書記が平壌音楽大学でロシア歌劇創作事業を指導したと伝えた。この活動の随行者リストに敬姫氏の名が含まれている。
敬姫氏は1994年の金日成(キム・イルソン)の葬儀と追悼行事に出席したほか、2000年の労働党創設55周年閲兵式、2001~2003年の最高人民会議に出席しており、記念写真が公開されているが、金総書記の現地指導に随行したと北朝鮮メディアが報じたのは今回が初めて。
このため、金総書記の三男・金正雲(キム・ジョンウン)氏が後継者に内定したことと関係するとの見方が出ている。
正雲氏は最近、金総書記のすべての公式活動に同行していると伝えられており、 敬姫氏がここに同行したのは、「後継者・正雲氏」の支持と解釈できるというものだ。敬姫氏はこれまで、金総書記の第三夫人、高英姫(コ・ヨンヒ)氏の息子である正哲(ジョンチョル)氏、正雲(ジョンウン)氏よりも、第一夫人の成恵琳(ソン・ヘリム)氏との間に生まれた長男・正男(ジョンナム)氏を擁していると伝えられてきた。
敬姫氏は、金総書記の病中、ナンバー2の座に浮上し後継体制の構築を主導したとされる張成沢(チャン・ソンテク)朝鮮労働党中央委員会行政部長の妻でもある。金総書記が夫妻に、正雲氏を中心とする後継構図を堅固なものとするよう注文し、これを敬姫氏が受け入れたとの分析だ。
朝鮮中央通信はまた、金総書記の随行者リストを報じる際、敬姫氏の名を夫の張部長よりも先に伝えている。北朝鮮社会に対し、金総書記の家系が持つ権力の力を遠回しに示したものと解釈できる。(聯合)>
共同は金慶喜、聯合ニュースは金敬姫と表示したが、同一人物である。一般的には”金敬姫(キム・ギョンヒ)”だが、金日成と金正淑の間に生まれ、金正日の同母妹に当たる。兄の金正日からは溺愛されている。また長男・金正男の後ろ盾とみられていた。
それが金正日総書記の平壌音楽大学への視察に、夫の張成沢と共に同行したことから、三男・金正雲後継を金敬姫も受け入れたという観測が強まっている。
事実とすれば、金正日ファミリーは軍部強硬派の推戴する金正雲後継でまとまったことになる。
初代の金日成は朝鮮労働党を中心にした政治をやった。二代目の金正日は”先軍政治”を唱えて、軍を党の上に位置付けた。金正日総書記と言われるよりも、金正日国防委員長の肩書きを好んだという。小泉元首相とのトップ会談も国防委員長の肩書きで出ている。
その結果であろう。軍部の強硬派が台頭して金正日ファミリーの押さえがきかないところまできているのではないか。昨年夏に金正日国防委員長が病気になって以来、写真にうつる姿は精彩がない。金王朝の三代目は軍部強硬派のコントロール下に置かれる用に思う。
<金敬姫(キム・ギョンヒ、1946年 – )は、北朝鮮の朝鮮労働党軽工業部部長、朝鮮労働党中央委員会委員。金慶喜、金景姫とも表記する。金日成と金正淑の間に生まれる。金正日の同母妹。次兄の金万一が溺死したこともあってか、兄の金正日からは溺愛されているといわれている。夫は張成沢で金日成総合大学で共に経済学を学んだ事から知り合った。一時期父の金日成に彼は遠ざけられたが、金正日の取り成し等で結婚した。
1987年に党軽工業部長に就任し、1990年以降は最高人民会議の代議士に選出されている。1995年10月に北朝鮮の公式報道に党中央委部長の肩書で登場して以来、13年間にわたり動静が伝えられなかったが、2009年6月8日に朝鮮中央放送などが金正日総書記の平壌音楽大学への視察に、夫と共に同行したことを伝えた(視察の日付は不明)。長年アルコール依存症に苦しんでいるとされる。(ウイキペデイア)>
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