生まれて初めて味わった酒の銘柄は「福無量」と言った。信州・上田の古酒である。これには曰くがある。敗戦直後のことだから母の実家でも蔵でひそかに”どふろく”を樽で作っていた。密造酒という奴である。一歳年上の従姉と蔵に行った時に”どぶろく”を見つけた。
それ以来、蔵でほんのちょっぴりだが、”どぶろく”の盗み酒を覚えた。旧制中学の二年生の頃。それを従姉の父親、私にとって大伯父に当たる人に見つかってしまった。東京外語のロシア語学科を出た大伯父は、田舎の商家には珍しい粋な男だった。
夜の晩酌で大伯父の前に座らされ「まあ、飲んでみろ」と盃を出された。「これはな、上田の幻の酒で滅多に入らない福無量だ」という。叱られるとばかり思っていたのだから、緊張のあまり酒の味など分かる筈がない。密造酒の”どぶろく”の酸っぱい味とは違うといった程度のことは分かった。
「男なら間もなく、元服の歳になるのだから、酒を飲むなとは言わない。だが、飲むなら福無量の様ないい酒を飲め」こういう叱り方をする人であった。
大学を出て就職し、初任地は東北の仙台であった。仙台で飲んだ酒は「新政(あらまさ)」、秋田の酒である。新政を飲みながら、上田の大伯父や一歳年上の従姉のことを思い出す日々が続いた。大伯父と福無量の酒が重なり合った。上田を離れてから福無量を口にしたことがない。
三十九歳で富山支局長に出た。東京の生活に飽き飽きしていたので、田舎の生活は見るもの、聞くものが新鮮だった。地元紙の幹部とは仲良くなり、毎晩の様に酒を飲んだ。新政とはひと味違う北陸の酒だが、透明感があっていくらでも飲めた。「立山」という銘柄だった。
大酒飲みで気の合った尾島の英ちゃんという編集局長氏は、肴のことや酒に詳しい。「飲むなら立山の二級酒だ」と教えてくれた。魚津出身で、かなりの富山弁なので「オヤジは漁師なの」と聞いたことがある。
「まあ、そんなものだ」と言うので深くは聞き質さなかった。後に分かったのだが、オヤジ殿は早稲田の文学部英文学科の名物教授だった。迂闊なことを言うものではない。
最初に戻るが、信州・上田の福無量を注文販売で取り寄せようと思っている。西上田の沓掛酒造の酒だが、大伯父が言った様に元禄年間の創業。もっとも従妹は上田市丸子町の酒蔵に嫁している。いざ注文となると迷いが出る。梅雨が明けたらお忍びで福無量を飲みにいくことになりそうである。
杜父魚ブログの全記事・索引リスト
3460 酒は「福無量」「新政」「立山」 古沢襄

コメント