日経ネットにすさまじい記事が掲載されていた。
『農民も土も水も悲惨な中国農業』(朝日新書)を上梓した愛知大学の高橋五郎教授へのインタビュー「ニュースを斬る 悲鳴を上げる中国農業 ある教授が農村で目にした“悲惨な病理”」だ。
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/nbonline.cfm?i=2009051500679cs
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/nbonline.cfm?i=2009060900867cs&p=1
「中国農業が悲鳴を上げている。土と水の汚染、担い手である農民の疲弊は、国内消費量の20%に当たる野菜を中国からの輸入に頼る日本にとって他人事(ひとごと)ではない。
徹底した農村調査で中国農業の病理を浮き彫りにしている。現地の農民と語り、土や水に触れる異色の学者に中国農業の現状を聞いた」
中共という巨大な地主が環境を壊し、農業を壊し、農民を壊し、農村を壊している。下からの農民の組織化を恐れる中共は農協のような組織も許さない。
農村には集会場さえないから篤農家が技術を伝えるには一対一で伝えるしかないという、絶望的な状況だ。読んでいてこちらまでが気が滅入ってしまった。
中共にお引取りを願わないと、棄民化した農民の暴動はますます激しくなるだろう。改めて穏やかな瑞穂の国に生まれたことを感謝した。
昔、日本には「篤農家」という言葉があった。「実践的な農業技術・農業経営を研究し、各地での農業指導により先進的農法の普及に貢献した農業経営者・農民」だ。
二宮尊徳はその一人で、江戸時代後期に農村復興政策を指導した。試行錯誤、手探りをしながら技術を開発していったが、「輪作」も彼ら篤農家の成果だ。
<輪作: 同一耕地に一定年限をおいて異なる種類の作物を交代に繰り返し栽培すること。地力の低下や病虫害の発生を防ぐ効果がある。⇔連作>(ウィキ)
輪作はヨーロッパ農業に革命をもたらした。11世紀から13世紀のことである。冬畑、夏畑、休閑地に分け、翌年には冬畑が夏畑に、夏畑が休閑地に、休閑地が冬畑になった。休閑地には家畜が放牧され、糞尿によって地味の回復が図られた、と堺憲一・東京経済大学教授が記している。
ヨーロッパ式輪作を3圃制度というが、小麦の播種量に対する収穫量は5~8倍、19世紀のはじめでも12倍ほどだった。
ところが我が国では徳川時代すでに米の収穫量は30~40倍もあった。現在では120~130倍で、肥沃なフランスの麦作でもせいぜい20倍という。
「米という字は八十八と書く、それほど手間がかかっているのだから、ご飯粒を残してはいけないよ、お百姓さんに申し訳ない」と小生は子供の頃に教えられたものだ。
日本の農業は徹底して手間隙をかけたからこそ生産性が上がったのだ。瑞穂の国で、養分に富んだ水に恵まれたこともあって米の連作も可能である。
このために同じ収穫を得るためにフランスでは日本の10倍の農地を必要としている! 日本はトランジスタ農業、ハイテク農業で、もはや「園芸」の域だという。
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