清水みのる(本名:清水實、1903年(明治36年)9月11日―1979年(昭和54年)12月10日)は、日本の作詞家。静岡県浜名郡伊佐見村(現在は浜松市西区伊左地町)生まれ。
昭和初期~中期に活躍し、特に作曲家の倉若晴生、歌手の田端義夫(バタヤン)とのトリオで、『かえり船』、『別れ船』等の数々のヒット曲を世に送り出した。
1939年、出征し陸軍に入隊。母校の浜松市立伊佐見小学校には功績を記念した「清水みのるの部屋」が、浜松市西区伊左地町には「森の水車(作詞 清水みのる / 作曲 米山正夫)」を記念した森の水車公園がある。
「森の水車」作詩 清水みのる 作曲 米山正夫 唄 高峰秀子 昭和17年
1 緑の森の彼方から 陽気な歌が聞えます
あれは水車のまわる音 耳をすましてお聞きなさい
コトコト コットン コトコト コットン
ファミレドシドレミファ コトコト コットン
コトコト コットン 仕事にはげみましょう
コトコト コットン コトコト コットン
いつの日か 楽しい春がやって来る(2,3番省略)
ファミレドシドレミファ は禁止外国語だというので発売禁止。
戦後、NHK専属歌手荒井恵子が唄って復活した。恵子は昭和23年の第2回NHKのど自慢全国大会で「南の花嫁さん」(高峰三枝子の歌で知られている曲)を歌い優勝。
NHK専属となり、人気ラジオ番組「陽気な喫茶店」などの出演で人気を取った。ラジオ歌謡も多数歌っており、「森の水車」(後に並木路子がシングル発売)などをヒットさせている。NHK専属であった関係上、レコード会社の吹き込みは殆ど無い。
1960年に結婚し、ほどなく引退。昭和40年代前半~昭和50年代前半の懐メロブームの際には何度か「思い出のメロディー」などに出演し美声を披露したこともあったが、現在は表舞台に出る事は無く、市井の人として生活している。並木路子のレコードだけが残っている。
NHKでも深夜便のアンカー宇田川清江は「こんな良い歌なんで発売禁止になったんでしょうね」70すぎにして能天気な放送をしている。清水の作品として有名なのは以下。
『島の船唄』(昭和14年5月)[倉若晴生作曲、歌:田端義夫]
『出船の唄』(昭和14年8月)[倉若晴生作曲、歌:北廉太郎]
『別れ船』(昭和15年6月)[倉若晴生作曲、歌:田端義夫]
『森の水車』(昭和16年8月)[米山正夫作曲、歌:高峰秀子]
『マレーの虎』(昭和17年6月)[飯田景応作曲、歌:上原敏]
『かえり船』(昭和21年11月)[倉若晴生作曲、歌:田端義夫]
清水、倉若、田端は「船3羽鴉」と歌われた。
『星の流れに』(昭和22年12月)[利根一郎作曲、歌:菊池章子]初めに唄うよう頼まれたブルースの女王淡谷(あわや)のり子は「いやよ」と峻拒。菊池が大ヒットさせ、持ち歌にした。
『母紅梅の唄』(昭和24年1月)[利根一郎作曲、歌:菊池章子]
『かよい船』(昭和24年6月)[倉若晴生作曲、歌:田端義夫]
『憧れの住む町』(昭和25年6月)[平川浪滝作曲、歌:菅原都々子]
『ふるさとの燈台』(昭和28年7月)[長津義司作曲、歌:田端義夫]
この唄は後に若原一郎もカバーした。
作曲の長津義司は後に三波晴夫を売り出した
『月がとっても青いから』(昭和30年5月)[陸奥明作曲、歌:菅原都々子]。
菅原都々子は一時、作曲言え古賀政男に子どもがなかったので養女になったが、歌手としては芽がでなかった。ところが縁組を解き、実父陸奥の作曲、清水作詞になるこの唄を出したところ、メロディーがそれまでと違って明るかったので大ヒット。人気歌手の仲間入りをした。いまも活躍中。
『雪の渡り鳥』(昭和32年11月)[陸奥明作曲、歌:三波春夫]
『想い出』(昭和31年8月)[寺部頼幸作曲、歌:石原裕次郎]
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「城内(きうち)みのるのとことん信念ブログ」2008-07-12 22:27 by 城内 実
<以前もこのブログで浜松市伊左地町出身(旧浜名郡伊佐見村)で戦前戦後を通じて一世を風靡した天才作詞家清水みのる先生についてとりあげた。
私が中でも好きな歌は、昭和17年6月ポリドールレコードから発売された『森の水車』である。当時天才子役から女優になりかけていた若かりし高峰秀子さん(愛称「デコ」ちゃん)が歌っている。
このような明るい曲が戦争が始まってから約半年後に発表されているのは特筆に値する。戦後の並木路子さんの日本コロムビア盤の『森の水車』も結構珍しいが、関西にいる城内実のSPレコードのK師匠によると「なんぼでもある」とのこと。
が、戦中の高峰秀子さん吹き込みの『森の水車』は本当の幻の盤で、この道何十年のベテランのSPレコードコレクターですら見たことがないという人が多い。現在国内で数枚程度しか確認されていないのではないか。
当時の「ポリドールレコード」改め戦中の「大東亜レコード」の盤の材質は極めて悪く、簡単にぱりんと割れた。
だから、ほとんどが捨てられて残っていないのかもしれない。 どなたか高峰秀子さんの『森の水車』のレコードをお持ちの方がおられたら、ご連絡願いたい。
http://www.m-kiuchi.com/2008/07/12/shimizuminoru/
期待の大物 城内実は平成17年9月11日におこなわれた郵政選挙(静岡7区)で小泉首相に刺客片山さつきを放たれ、わずか740票差で敗れた。巻き返しを図っているのは当然だ。さすがに若いから発売禁止のことは知らないようだ。
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