自由社発行の「日本人の歴史教科書」に堤堯氏(つつみ・ぎょう、元・文藝春秋編集長)が「『戦力放棄』と戦後日本」という論文を寄せている。とても面白かったので要約を紹介させていただく。
●「戦力放棄」は押付けか?
――嘘も方便・・・
戦後日本を総括せよといわれれば、右の俚諺に思いいたる。・・・戦後日本の基軸は紛れもなく憲法九条だ。前項で戦争放棄を謳い、二項で戦力放棄を謳う。・・・これが嘘であることは、子供でも知っている。
これを提案した幣原喜重郎に向かって、占領総督マッカーサーは言った。「そんなことをすれば、世界の嘲笑の的になる」
事実、嘲笑されたと、マックは上院の公聴会で述べている。憲法九条はマック・幣原の密談で決まった。第三者がいない。ために種々の揣摩憶測を呼ぶ。マックが天皇制の維持と引き換えに、戦力放棄を押付けた――いわゆる押しつけ説が「定説」とされる。
しかし筆者はあえて「定説」をとらない。両者の証言や種々の関連資料を素直に読めば、幣原の発案としか考えられないからだ。提案を聞いたマックは「腰を抜かさんばかり、息も止まらんばかりに驚いた」と記している(「マッカーサー回想録」)。自衛権は万人・万国が共有する自然権だ。それすら否定する? 軍人マックの驚きは当然だ。
幣原が辞去したあと、マックに呼ばれた幕僚ホイットニーは二人のやり取りを告げられ、著書「日本におけるマッカーサー」に幣原の発案だと記している。
●幣原喜重郎の狙い
幣原が何を提案しようが、決定権はマックにある。よって両者意気投合した合作とみる説もある。これも違う。言い出したのは資料が示すところ、あくまで幣原のほうだ。では、なぜ幣原は「戦力放棄」を言い出したのか。彼はマックに言った。
「そうすれば、軍部が再び権力を握ることもなく、日本が再び戦争を起こす意志のないことを世界に納得させられる。二重の目的を達成できる。日本は貧しい国で、軍備にカネを注ぎ込む余裕はない」
当時、戦勝国の間に日本断罪の怒気が満ち満ちていた。アメリカの世論調査は、天皇ヒロヒトに対して七割が何らかの処罰(うち三三%が死刑)を望んでいる。この怒気を、まずは和らげなければならない。幣原は天皇を「現人神」から「象徴」へ変え、さらに「戦力放棄」を加えて、さしもの怒気を鎮めた。
●経済立国への布石と吉田茂
幣原の狙いはもう一つある。東西冷戦の谷間にあって、来るべき戦力供出の要求を拒む。自らのゲンコツ(戦力)を自縄自縛、いったん憲法で定めれば、国民の総意によってしか変えられない。ためにアメリカは日本の戦力を使役する手立てを失った。のちにマックは幣原に愚痴をこぼしている。
――マッカーサー元帥から発言が出た。
「バロン幣原は一切の戦力を放棄すると言われたが、今日の世界情勢からみると、何としても早すぎたような感じがする」
元帥の発言に対し幣原議長はニガ笑いして聞いておられただけであった。その後間もなく朝鮮戦争が起こった(衆院事務総長・大池真の手記)
ニガ笑いの意味は何か。幣原の心中は、会心のニヤリだったのではないか。
当初、戦勝国の間で「日本非武装化条約案」が進行していた。・・・「非武装化」を憲法に盛り込ませるのでなく、条約によって日本を非武装化する。しかし幣原は先手を打って戦力放棄を憲法に挿入した。幣原を継いだ吉田茂は憲法九条を堅持し、これを楯に特使ダレスの執拗な再軍備の要求を拒み、ひたすら経済立国を目指す。
日本は朝鮮戦争にベトナム戦争にも、一兵たりとも出兵しない。日本は二つの特需からもっぱら漁夫の利を得た。そして高度成長経済への道をひた走った。
前代未聞のビックリ条項によって、アメリカの使役を拒否し得てきたのは、厳然たる歴史的事実である。結果オーライではない。幣原の遠大・狡猾な仕掛けだ。政治は結果責任だ。政治家の言動は結果から逆算して、初めてその真意がわかる。
幣原の共謀者に終戦内閣の首相・鈴木貫太郎と、幣原を継いだ吉田茂がいる。「戦力放棄」はこの三人の合作だったことを資料が示している。委細は拙著「昭和の三傑―憲法九条は救国のトリックだった」に記した。
吉田は言った。
「戦争で負けて外交で勝った国もある。日本人はクレバー(利巧)なんですよ。ハハハハ」
サンフランシスコ講和条約を受諾した当日、吉田は日米安保条約に独りサインした。憲法九条と日米安保の両輪が、戦後日本の安全保障を担保した。東西冷戦が終わって二十年、日本を取り巻く情勢は変わった。当然のこと、日米安保も変質・空洞化しつつある。かつて幣原は吉田宛の書簡で述べた。
「国際関係には百年の敵もなければ、百年の友もない」
●賞味期限が来た憲法九条
あらゆるシステムはメリットとデメリットを併せ持つ。憲法九条を機軸とする戦後システムも事情は同じ。情勢の変化に応じて補修を怠れば、やがてはデメリットだけが顕在化する。
憲法九条は当座の方便=トリックだった。その効用はたしかにあった。言うなら歴史的傑作といえる。しかし今や賞味期限が来ている。方便としての自縄自縛を解く時が来た。泉下にあって誰よりヤキモキしているのは、他ならぬ方便の考案者(たち)に違いない。
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3493 堤堯氏の「『戦力放棄』と戦後日本」 平井修一

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