現代のコミック風景がスイスの小都市・ベルンで繰り広げられている。韓国の東亜日報によると人口わずか十二万のこの都市に各国のマスコミが殺到して、金正日総書記の子供たちの写真や記録探しに熱中している。「金総書記の3人の子がスイスで留学(東亜日報)」なんていう記事に何の意味があるのだろうか。
お目当ては次の後継者と目される金正雲氏の”お宝写真”なのだろう。しかし子供時代の金正雲写真探しに各国の記者がこれほど血道をあげるのも異常である。後継者になれば金正雲氏はいずれ公の場に姿を現す。それでいいではないか。
と嫌みを言いながら、そこは物好き。「どれどれ」と漫画的な記事につい目がいく。野次馬精神が旺盛だからである。思い出すのは金正日の登場時。モジャモジャ頭の冴えない小男というのが最初の印象だった。欧米のマスコミは”暗愚の息子”と書き立てた。東ドイツの航空士官学校に留学したが、成績が悪くて卒業できなかったと一斉に暴露された。
しかし、とりわけ暗愚だったわけでもない。遊び好きで学業が疎かになったと後に分かる。それどころか”先軍政治”なんてとてつもないことを思いつき、アメリカを手玉にとってきた。だから子供の時にどうだったというのは、あまり参考にはならない。
金正雲氏の素顔はまだ分からない。金正日の時もほとんど外国人と会ったことがなく、外国に行ったのも二度しか確認されていなかった。1983年に北京など中国各地を旅行、1984年に父・金日成に同行して短期間ベルリンを訪問しただけであった。
北朝鮮国内では、金正雲氏の写真は最高機密とされ、出回ることがなかった。暗殺を怖れているためであろう。金正日の元専属料理人だった藤本健二氏は、十八歳当時の金正雲の顔立ちはプロゴルファーの片山晋呉にそっくりだと証言している。
<スイス・ベルンに、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の子供である金正哲(キム・ジョンチョル、28)、金正雲(キム・ジョンウン、26)、金イェジョン(22)氏の留学時代の様子が覗える記録がそのまま残っていることが分かった。そのため、スイスの首都とはいえ、人口わずか12万人の小都市のベルンにマスコミが殺到し、記者会見が開かれるなど、国際社会の関心が注がれている。
日本の毎日新聞は16日、金総書記の3男の正雲氏がベルンの公立中学校に留学した1990年代後半、金総書記の娘も隣接した公立小学校で留学したと、北朝鮮の情報に詳しい外交消息筋の言葉として報道した。同紙は、「この小学校に在学記録が残っている」とし、「兄妹がベルンで一緒に暮らしながら留学したものと見られる」と分析した。
新聞は娘の名前について「イェジョン」と伝えたが、韓国では英順(ヨンスン)という説もあり、金総書記専属の料理人だった藤本建二氏は著書で、「ヨジョン」と書いていると紹介した。娘については、これまで正哲、正雲氏と同じく高英姫(コ・ヨンヒ)氏が母親で、1987年生まれだという事しか知られていない。
この学校の在籍記録によると、1988年1月1日生まれで「チョンスン」という名前で学校に入学したという。手続きは北朝鮮大使館が行った。1996年4月、外国人向けのドイツ語補習クラブに入り、1997年8月から小学3年のクラスに入った。
同紙は、5年生を終える時点の00年7月までの学校記録が残っているが、転出日は空欄となっていると伝えた。外交消息筋によると、彼女は小学校6年生だった00年末、学校を退学して帰国した。この学校の当時の教師は、毎日新聞に対し、「学校は『北朝鮮外交官の娘』として通っていた。送迎は複数の女性が交代で担当した」とし、「過保護だと思った」と話した。
一方、正雲氏が留学したとされているベルン市内の公立中学校は15日、正雲氏がこの学校に留学したという最近の毎日新聞の報道について、記者会見を開き、「彼が金正日の息子であるかどうかは分からない」と伝えた。
この公立学校の教育分野を担当するウエリ・シュチューダ教育長は、「北朝鮮国籍の生徒が1998年8月から00年秋までこの学校に在学したのは事実だ」とした上で、「その生徒はただ北朝鮮大使館に勤める外交官の子女として届け出られたため、我々としては彼が金正日の息子であるかどうかは確認できない」と話した。
当時、数学教師だったペーター・ブリ校長は、「この生徒は学校生活によく適応していて、非常に勤勉で野心的だった。バスケットボールが趣味だった」と話した。 一方、金総書記の次男の正哲氏も、1994~1996年、ベルン国際学校(ISB)に留学したとされている。(東亜日報)>
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3511 小都市・ベルンでお宝探し 古沢襄

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