米米下院外交委員会の公聴会で、朝鮮半島問題研究者、国際政策センターのセリグ・ハリソン氏が証言した中で「北朝鮮の若手将校らは金正日国防委員長が、2002年に日本人拉致を認め謝罪したことに憤慨している」と述べたことは、極めて重要な証言といえる。
ハリソン氏は「日本と紛争になった場合の北朝鮮の能力を非現実的に(高く)評価し、他の高官らを憂慮させている」とも述べた。
ここで気になるのは、金正日総書記の側近である姜錫柱(カン・ソクジュ)第一外務次官の安否である。姜錫柱氏は1993年にロバート・ガルーチ米国務次官補と渡り合い、北朝鮮の核凍結の見返りに軽水炉を手配し、その建設期間は暫定的な代替エネルギーとして年間五十万トンの重油を提供する米側の譲歩を取り付けている。帰国した姜錫柱氏に対して北朝鮮は凱旋英雄のごとく迎えた。
日本との拉致問題の解決に当たっては、森内閣当時に中川官房長官とシンガポールで極秘会談を持って、小泉元首相の訪朝に道筋をつけた。小泉・金正日会談で、金正日国防委員長の隣に座っていた。当時から北朝鮮軍部には姜錫柱氏に対する不満が渦巻いていたが、それが金正日国防委員長の謝罪に対する不満となっていれば、若手将校の下克上にもなりかねない。
姜錫柱氏が目論んだ金正日謝罪によって、日朝国交回復を軌道に乗せ、日本からの経済支援を得るプログラムは、多くの拉致被害者が死亡しており、僅かに五人しか生き残っていないことから、日本の世論が硬化して頓挫している。姜錫柱氏の目論み違いということになる。
北朝鮮外交の司令塔と目されていた姜錫柱氏が表面から姿を消し、一時は外相説もあったが、対日交渉の司令塔が軍部出身の外交官僚に移り、日朝交渉は停滞した。この間、姜錫柱氏は白内障を患い、秘密裏にパリやモスクワで治療を受けているという風評も流れた。
ハリソン氏が「軍部の若手将校の非現実的な考え方に他の高官らを憂慮させている」と述べたのは、姜錫柱氏ら生粋の外務官僚の懸念を指すのではないか。少なくとも後継者と目される金正雲氏が暴走する若手将校に一方的に担がれる事は避けようとする勢力が残っていると思われる。この勢力が陰に陽に中国と意を通じている可能性がある。
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3519 姜錫柱第一外務次官の安否 古沢襄
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