パーセンテージが政治をほんろうしている。
「一喜一憂しない」を口癖にしながら、世論調査の内閣、政党支持率やその他の%にやきもきしているのだ。調査でなく、逆に%を政治的に使うケースもある。
政権交代こそ次期衆院選の第一の争点と言い続けてきた民主党の岡田克也幹事長は、交代が実現する可能性を問われて、「50%。相手がそんな簡単に手放すとは思えませんから」(6月28日の民放テレビで)と答えた。
50%が岡田の本音かどうかわからないところが政治的だ。世間も官界、経済界、とにかくだれもが政権交代の成否を注視している。
メディアの世論調査では、<民主党中心の政権>への期待が<自民党中心>のほぼダブルスコアで多い。この期待通りにはいかないとしても、交代の可能性は少なくとも60%以上にふくらんできた、と世間はみている。
ところが、50%では成否五分五分だ。50%まできた、とも解されるが、結局だめかもしれない、という不安感にもつながる。
岡田は60%と言ってみせて、意気込みと自信をみせ、交代にはずみをつける手もあったはずだが、なぜ低めの数字にしたのか。二つのことが考えられる。
実際は政権交代への確信を深めているが、油断禁物、選挙直前の党内を引き締めるためにも、意図してどっちともとれる50%とした。あるいは、岡田の正直な気持ちだった。まだ確信に至らず、不安のほうが強い。どちらなのか。
岡田は初当選から3年4カ月自民党に所属し、離党して16年。副代表の昨年6月、「政権交代--この国を変える」(講談社)を著した。
<いま、日本の政治の大きな変化、政権交代の実現が近づいていることを実感しつつ、これからが正念場だと改めて思う……。
そういう思いで、政権準備党として民主党を懸命に育ててきた。いまや自民党を超える存在に成長したと確信している>
と自信のほどをつづっている。さらに1年が過ぎ、雌雄を決する日が迫ったが、果たして<自民党を超える存在>になりえたのか。
自民党への幻滅、民主党への期待と明暗を分けた流れになっていることは、たびたびの世論調査結果で明らかだ。しかし、流れに影もさしている。
小沢一郎前代表の企業献金疑惑が残ったままなのに、鳩山由紀夫代表の政治資金虚偽記載が発覚した。一方で、麻生自民党は荒れ放題、どっちもどっち、と世間はあきれている。双方とも党首の資格が問われていて、救いがない。
乱が乱を呼ぶ険しい雲ゆきだ。国民新党の亀井静香代表代行が、
「『窮鼠(きゅうそ)猫をかむ』というように、ネズミのほうが強くなることもある」と自民党の反攻を警告したのは先週のことだが、窮鼠は鳩山の失態にマトを絞ったかのようだ。
50%発言の意味あいも刻々変わる運命かもしれない。岡田は先の著書のなかで、
<私は「エクセレント・パーティー」という概念を打ち立てた。それは一言で言うなら、信頼される政党になることだ。エクセレント(優秀)を第1目標として掲げた>とも書いている。そうあってほしい。
岡田は領収書の書けないカネやモノは少額でも受け取らない主義だ。中元、歳暮などもすべて手紙を添え返送している。エクセレントを言うなら、その潔癖さがいま大切だろう。前・現代表は潔癖か。(敬称略)
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