3595 母のブロークン・イングリッシュ 古沢襄

敗戦当時のことを知る人も少なくなった。母の実家がある信州・上田にも米軍が進駐してきて、市郊外に米軍キャンプが出来た。旧制上田中学にも予科練など軍学校から血気壮んな上級生が復員してきていて、一夜、市北部の土橋の上から丸腰のGI(米兵)を背負い投げで川にたたき込む事件が発生している。
大いに溜飲を下げた快挙と喜んだのもつかの間、大型拳銃を下げたMP(軍憲兵)がジープで市内を回り、犯人捜しに躍起となった。快挙と思っていたから、誰もMPには協力しない。まさか中学生の犯行とは思わなかったのであろう。上田中学にはMPはやって来なかった。
そのMPだが、母の実家に突然、乗り込んできた。長野県士族だった実家には槍や刀剣がある。密告があって槍や刀剣を押収されてしまったのだが、家族は怖れおののくだけで為す術がない。実践女子大を出た母が震えながらブロークン・イングリッシュで対応した。米軍に逆らう武器ではないと、一生懸命に説明していた。
それが通じたのだから、不思議といえば、これほど不思議なことはない。この話に尾ひれがついて、母は英会話が堪能な女性と評判になった。狭い田舎町のことである。評判を聞いた上田中学の校長が母の実家にやってきた。英語教師が払底している折から、上田中学で教鞭をとってくれないか、という依頼である。
母は英文科を出てはいるが、教員免状は取らなかったと辞退。本当のことを言えば、英語教師の自信などある筈がない。上田中学で教師になって恥をさらすのは息子としても困ることであった。同級生にも顔向けがならないと心配した。
変な縁でMP氏は二人連れでまたやってきた。今度は日本土産に女性の着物が欲しいという。またブロークン・イングリッシュのやりとりになったが、軍用毛布三枚と母のいらなくなった着物を交換することになった。おまけに米軍の牛肉缶詰なども付けるという。
交換の日にMP氏は商談成立後、大型拳銃を机の上に置いて、米軍キャンプからの盗品だから他言無用と脅された。母だけでなく立ち会った義父も震えあがった。MPが盗みを働くのだから、アメリカは怖いと後々まで母は言っていた。
今では笑い話になったが、私もMP恐怖症にしばらくは取り憑かれた。上京してもMPを見かけると避けて通ったものである。
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