漫画界の大御所・杉浦幸雄さんが亡くなって、早くも五年の歳月が去った。女性を描かせたら、今でも日本一の描き手の座を譲らない。高齢になっても夜の銀座に毎晩のように通い続けた。
杉浦さんのお伴をして銀座のバーに行ったことがあるが、家庭では「カーくん」を連発している杉浦さんの目が妙に鋭く、優しい仕草をみせながら、怖い感じを受けたものである。外では照れもせずに”女性礼賛論者”と言い放ちながら、女性の”業”といったものに目をそそいでいる。やはり女性風俗を描かせたら杉浦さんの右にでる漫画家はいない。
曾野綾子さんは杉浦漫画を評して「杉浦さんがここ数年間・・・延々と書いてこられた女性は、その無知、狡猾、ハレンチ、欲張り、動物的(人間的にあらず)だらしなさ、無能さ、お人好しの点において、まさに目を覆わしむるものがあった。この方、ツワモノである。真実を描いてゾーとさせ笑わせる。単なる漫画ではない。人間洞察であり、文明批評である。一九六〇年代の全女性のテキとして、昭和史に名をとどめるに値する」と言った。
高校生の頃から、東京・世田谷の杉浦邸によく遊びに行った。亡くなったトミ子夫人を「カーくん」と呼ぶので、それを聞くと背中がムズ痒くなったものである。トミ子夫人は長野市の歯医者の娘。母の遠縁である。天下一の恐妻家を自称していたので、杉浦さんが描く女性像は「カーくん」一色と思っていた。
事実、戦前の「ハナ子さん(主婦之友)」は「カーくん」がモデルだった。戦後の「アトミックのおぼん」「コカ吉コカ子」「東京チャキチャキ娘」も「カーくん」の娘時代を彷彿とさせる。
だが、その後の風俗漫画で表現された女性像は「カーくん」ではない。銀座に通いながら、新しい女性像を追求している。まだ無名時代に親友だった近藤日出造さんに「オレは女をかく。女が主役の風俗漫画をかいて、女をかかせたら日本一の漫画家になってやる」と言ったことがある。
最愛の「カーくん」が亡くなって、「カーくん」漫画を越える境地にたどり着いた気がする。亡くなる直前まで曾野綾子さんがいう女性の”業”といったものを描き続けた。六月に岩手県の玉泉寺で杉浦幸雄さんら十一人の合同法事をしてきた。杉浦幸雄さんは亡くなったが、描いた女性の風俗漫画は永遠の生命を持って残された。「銀座のバアにご出勤のママ」という一枚の漫画絵を私も遺品として居間に飾っている。
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3654 女性を描かせたら日本一の杉浦幸雄さん 古沢襄

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