3655 五十五年昔の一光景 古沢襄

崖っぷちに立った麻生首相を見ていて、一九五四年の吉田内閣の終焉を思い起こしている。第五次吉田内閣の時である。造船疑獄で犬養法相が指揮権を発動した煽りで、内閣支持率が23%にまで落ち込んでいた。当時の吉田自由党は202議席、野党の264議席に較べれば、絶対多数を持たない弱体内閣になっていた。
強気の吉田は解散を断行して、危機を突破する腹でいた。副総理だった緒方竹虎は解散を避けて、内閣総辞職を唱えて、吉田の前に立ちふさがっている。緒方は自由党中心の保守新党を模索していた。
閣議前に吉田と会った緒方は次の様に言っている。一九五四年十二月八日朝のことである。
「総理、延命のための解散への署名は副総理の私にはどうあってもできません。それならば私は政界引退か、自由党分裂も覚悟しております」・・・吉田は激怒し、緒方の罷免を考えている。
緒方は日記に「瞬間、総理は僕の罷免を決意したる如し」と書き残している。新聞各社は解散か総辞職かで見通しが割れた。
解散を決意した吉田は閣議を開催した。緒方に同調した大達文相が強く総辞職を主張、これまで吉田に気兼ねしていた閣僚にも総辞職論が広がる気配をみせた。これを察知した吉田は、突然、席を立って戻ってこなかった。
そこで緒方は吉田不在のまま総辞職の手続きをとり、吉田内閣終焉の引導を渡している。自由党の両院議員総会で、吉田は総裁を辞任、池田勇人幹事長も辞意を表明した。代わって緒方が総裁になり、緒方の指名で石井光次郎が幹事長に就任した。
あれから五十五年の歳月が去った。麻生首相は祖父の吉田元首相が直面した危機と同じ場面に立たされている。祖父譲りの強気一点張りで麻生内閣の危機を乗り切る腹かにみえる。緒方に代わる人物がいるのだろうか。歴史は繰り返すのだろうか。
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