解散となると、長い間、政治を見続けてきたものにとって、なんともいえない高揚感が出てくる。ほぼ4年間、解散がなかったのだから、今回はひとしおだ。
衆院議長のうしろのドアから官房長官が紫のふくさの置かれた盆を捧げ持って入ってくる。
事務総長から議長へ。ただいま内閣総理大臣から証書が発せられた旨、通告がありました。これを朗読いたします。
議長が立ち上がると全員起立。日本国憲法第7条の規定により、衆議院を解散する。
うろ覚えだが、そういった趣旨の発言をする。議長はそのあと、これをもって本日は散会いたします、などと言ってはいけない。無言で一礼し、議場をあとにする。
証書を読み上げた時点で、全衆院議員は議員でなくなり、「タダの人」となる。議長も議長でなくなるのだから、議長席でそれ以上の発言をしてはいけないことになっている。
政治記者の駆け出しのころ、解散の場面をじかに見るために本会議場へ行ったものだ。傍聴席の最前列、議場の周囲をぐるっと取り囲むようなかたちで記者席がある。
1社3人分ぐらいの席があって、社名の書かれた金属プレートが貼ってあるが、解散のときはそんなことにかまっていられない。席が空いていればどこにでも座る。だいたいが、座れないほどぎっしりということが多かった。
議場の異様な雰囲気は何度見ても、おもしろいといっては申し訳ないが、政治の歴史的節目に立会ったという感慨がわく。
解散には69条解散(内閣不信任案可決の場合)と7条解散(天皇の国事行為)があるが、前者の場合でも、証書は「7条により」となっている。
宮沢政権の解散の時だったと思うが、議長が「7条」と言ったので、「69条じゃないか」と議場から口々に野次が飛んだ。69条解散でも7条解散とするのだということを知らない議員が多かった。
議長の「解散する」のあと、一呼吸おいて、バンザイの声がわきあがる。あれはいつから始まったのか。自分たちのクビが切られたのにバンザイ三唱をするのだ。
これもいつのことだったか。タイミングがずれて、議場が一瞬、静まり返ったことがある。傍聴席からバンザイの声が飛んで議員たちはようやくわれにかえって三唱した。
衆院解散はこうした「儀式」を経て、選挙戦への本格突入となる。この場面転換効果とでもいっていい効用が、いずれに味方するか。これを見定めるのも政治ウオッチの楽しみのひとつだ。
<<「ミゾーユー解散」?>>
この解散をなんと名づけるか。
吉田茂の「バカヤロー解散」をもじって「バカタロー解散」というのがあったが、秀逸というべきか、低次元というべきか。
「やぶれかぶれ解散」だの「ダッチロール解散」だの、いろいろある。
やはり、「ミゾーユー解散」というべきか。麻生首相の「漢字が読めない」「高級ホテルのバー通い」が政策、人事などをめぐるブレとオーバーラップして、支持率の大幅ダウンをもたらした。そのことを考えれば、「ミゾーユー解散」ぐらいのイメージだ。
まともにいえば「政権選択解散」ということになる。自公与党が勝てば麻生政権継続、民主党が勝てば「鳩山政権」だ。どっちが勝てばだれが首相になるかを問う選挙というのは、初めてである。これが政権選択といわれるゆえんだ。
政党政治と議会制民主主義を踏まえれば、理想的な姿ではある。間接的に首相を選ぶわけだから、首相公選の意味合いも生まれてくる。英国型の選挙に近づいた。
この解散がどう命名されるかで、それなりの意味合いが出てくる。
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3694 さあ「ミゾーユー解散」だ 花岡信昭

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