八月になった、戦後政治の分岐点になる歴史的な選挙を迎えるという。だが各党のマニフェストなるものをみると、歴史的な分岐点に相応しい政権公約とはほど遠い。細々(こまごま)とした人気取りの政策?の羅列ばかり。世界は大きな転換期にあるが、この国の将来を俯瞰した展望は、どの政党にも見当たらない。
自民党政治が続こうが、民主党に政権が交代しようが、戦後政治の分岐点とはかけ離れた変わり映えのしない政権になるのではないか。おそらく世界第二位の経済大国の座は年内に中国に奪われるであろう。それでは第三位に転落するだけか。遠からずしてインドに世界第三位の座も奪われる。
それもその筈である。国家の発展の基本である成長戦略が欠落しているからである。別に田中角栄の拡大経済戦略に戻れと言っているわけではない。今の時代に相応しい成長戦略がある筈である。成長戦略は国民受けのするバラ撒き政治の中から生まれない。国の財政破綻を助長するだけで、そのツケは増税によって国民にツケ回しをしてくる。
昭和ヒトケタの私たちは敗戦の廃墟の挫折から、ひたすら働くことによって、この国を再建してきた。民間も役人も安月給の中で、明日は少しでも生活が良くなる夢を抱いていた。貧しいが夢だけは大きかった。
今はどうであろう。一億総中流意識を持てた時代から、国家再建の意欲が失せてしまった気がする。残ったのは成長が止まった財布の中味から、分配の分捕り合戦に汲々としている。中国やインドが苦しい中で成長戦略を続ければ、日本の財布の中味は相対的に小さくなる。縮小均衡では、この国の将来展望が見えてこない。
拡大再生産の仕組みを構築することによってのみ進化する分配の理論が成り立つ。いつまでもバブル崩壊の記憶にとらわれて、熱つものにナマスを吹く愚かさにとどまるべきではない。その発想転換がないから、国債を増発し、増税によって辻褄を合わせようとしている。
六〇年安保で国論を二分し疲弊した国家再建を目指した池田内閣は、国民所得の倍増計画を政権の基本に据えて実行している。高度経済成長政策は、農村地帯から若年労働力を太平洋ベルト地帯に大量に送り込み、農村の荒廃を招く”負”の結果を生んでいるが、工業立国、貿易立国の目的は曲がりなりにも達成している。
大筋では成長戦略として間違っていない。
田中内閣の成長戦略は過熱したバブルの原因とされて批判を浴びたが、その都市政策大綱は刮目に値するものであった。農村対策を補助金などで湖塗とした政策は将来に禍根を遺したが、都市政策大綱そのものは正しい選択だったと思っている。そして世界第二の経済大国が実現している。
これからの日本の成長戦略は、製造業にウエートを置いてきた企業戦略から脱皮する必要がある。新しい成長企業を育成し、労働力を吸収する必要が出てくる。大筋では分かっていても、政治の政策目標を一点に絞る集中力が欠けている。
池田内閣や田中内閣には民間、官僚の衆知を集めたブレーンが存在していた。大企業を叩き、官僚を攻撃する手法だけでは、縮小均衡のワクから脱することは出来ない。大企業は生産拠点を海外に移して空洞化が生まれる。官僚のなり手もなくなるだろう。
自民党のマニフェストには成長戦略が書き込まれているという。しかし池田内閣の高度成長政策や田中内閣の都市政策大綱のような大目標に欠けている。極論すれば成長戦略なき民主党のマニフェストと大同小異ではないか。どう考えても戦後政治の分岐点になる歴史的な選挙にはなりそうもない。
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3749 成長戦略なき各党のマニフェスト 古沢襄

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