3753 「好き嫌い」と祖国愛 伊勢雅臣

作家・曽野綾子氏の「神のいる場所」の次の一文にはハッとした。
愛は「好きである」という素朴な感情とはほとんど無関係だという厳しさを知ったからである。キリスト教における愛というものは、むしろ自分の感情とは無関係に、人間としてなずべき態度を示すことだ、とされている。つまりその人を好きであろうがなかろうが、その人のためになることを理性ですることなのだ、と私は知ったのである。
キリストの説く「隣人愛」とは、「隣人を好きだからその人に尽くそう」ということではない。それでは嫌いな隣人のためには尽くさなくても良いことになる。
同じ事が「祖国愛」についても言えるのではないか。日本が好きだから、祖国のために尽くそう、というのはごく自然な感情だが、それなら日本が嫌いだから、国のためには尽くさない、ということにもつながってしまう。
祖国愛の根底には、好き嫌いを超えて、国のために尽くすべきという理性的判断があるのだ。そして、その理性的判断は、自分を生み育て、守ってくれている豊かな文化、歴史伝統、自然、経済を残してくれた先人たちへの感謝から始まるのではないか。
自分が受けている先人の恩に感謝し、それを子孫に恩返ししていこうとする志こそ、祖国愛の本質なのではないか、と思う。
とすれば、他国に比べて日本はこんなに素晴らしい国なのだなどとと誇る必要はない。そういう見栄は祖国愛には不要である。ただ先人への感謝の思いと、報恩への志があれば良い。
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