戦争放棄を国是と定めた日本はソ連や中国の核から身を護るために、米国の核の傘の中に入るという選択を取った。政府は1972年10月9日の閣議で核の脅威に対してはアメリカの核抑止力に依存することを決定している。
冷戦時代を西側の一員としての安全保障政策を堅持してきた日本としては、当然の選択であった。デタント時代になっても北朝鮮核の脅威に日本は曝されている。
そのことと世界で唯一の核被爆国である日本の「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」という非核三原則は、「持ち込まさず」の一点において矛盾する内容となっていた。米国のの核抑止力に依存することは、核搭載の米艦船の寄港に目をつぶることに通じる。
日本政府は寄港する米艦船は核を搭載していないという建前で通してきているが、核搭載の原子力潜水艦の横須賀、佐世保寄港を拒否した例はない。いわば「持ち込まさず」は虚構の上に立ってきたといえる。
民主党の鳩山代表は長崎で、民主党政権になれば非核三原則の法制化を検討すると述べた。法制化の意味がいま一つ明確でないが、「持ち込まさず」を国内法で規定すれば、核搭載の米艦船は違法行為として寄港を拒否することになる。
そこまで日本政府が踏み込むと、米国の核抑止力に依存する外交・安全保障政策は大きく転換せざるを得ない。当然のことながら日米安保条約も米側から破棄通告を受ける可能性すらある。
社民党や共産党は鳩山発言を歓迎した。しかし民主党内には保守系から鳩山発言を訝る声も出ている。党内亀裂を招かないために、安全保障政策の論議を封印してきた民主党の弱点が、ここにきて露呈された。国民の生活が第一と唱えている中はいいが、あえて党内の意思統一が出来ていない安全保障政策に鳩山代表が踏み込んだ意図は何処にあるのか?
被爆地の長崎にきて、気持ちが高ぶったではすまされない。米国は鳩山発言の真意を確かめようとしている。防衛相の補佐官に就任した森本敏・拓殖大学教授は「かりに衆院選で政権政党が代わっても、国家の防衛目標や脅威が突然変わることはありえない。防衛政策の連続性は維持されないといけない」と警告しているのだが・・・。
<非核三原則の法制化検討=慎重姿勢を転換-民主代表
民主党の鳩山由紀夫代表は9日、長崎市内のホテルで被爆者団体代表者と懇談し、非核三原則について「唯一の被爆国として守っていくことが重要で、その一つに法制化という考え方もある。しっかり検討したい」と述べ、法制化を検討する考えを表明した。
鳩山氏はこれまで「逆に法律が変えられる危険性も持つ」として法制化に慎重な姿勢を示していた。しかし、衆院選後の連立相手に想定する社民党が法制化を求めていることから、「鳩山政権」が誕生した場合の政権運営を考え、軌道修正したものとみられる。
鳩山氏は懇談終了後、記者団に「法律よりも強い『国是』の方が守られると思ったが、法治国家として法制化が必要だと皆さんが判断されるなら一考する十分な価値がある」と説明した。
懇談会では被爆者団体側が「自公政権との差別化を図るためにも非核三原則を法制化してほしい」と要望。鳩山氏は「自公政権との差別化というのはその通りだ。要望の強さをうかがい、法制化を検討していく」と約束した。
鳩山氏の発言について、社民党の福島瑞穂党首は9日、長崎市内で記者会見し、「よかった。長崎に来て核廃絶への思いを肌で感じたからではないか」と評価するとともに、「政権が代わり、新たな政治になった時にきちんとやっていきたい」と述べ、社民党として法制化を重視する立場を重ねて示した。(時事)>
非核三原則=「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」という非核三原則は、1967年の衆院予算委員会で佐藤元首相が述べたものである。1968年の通常国会で佐藤元首相は施政方針演説の中であらためて非核三原則を国是として示している。
「核兵器を持たず、作らず」の二つは、日本の国是として不動のものだが、「持ち込まさず」については当時から曖昧なものを残している。1968年の施政方針演説でも「米国の核抑止力依存」を同時に打ち出していた。日本政府は1972年10月9日の閣議で核の脅威に対してはアメリカの核抑止力に依存することを決定している。
米国の核抑止力に依存する外交・安全保障政策は、非核三原則の「持ち込まさず」と二律背反の可能性を含んでいる。そこから米国との密約説が生まれている。
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3786 米国の核の傘と非核三原則 古沢襄

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