自民党の起死回生の一発は「靖国参拝」だった。靖国参拝→中共の恫喝→媚中・親中の民主党への嫌悪感→自民支持へ、というパターンの可能性があったのに、太郎は靖国参拝をしないそうである。
この辺が小泉と違うところである。政治感覚というか、のるかそるかの大博打が太郎は打てない。政治家として、あるいは宰相として、やはり器が劣るのだろう。結局は能無し、亀有公園前のマンガタローで終わりである。
支持率によれば日本は容共左派政権に移行する。共産主義はイデオロギーと国民が直結することを望むから、家族、郷土、歴史、交際(外交)、文化、道徳など、国家・民族の絆、紐帯を破壊していく。
中共を見よ、子供から大人までが親兄弟、親族、友人、恩師、上司、同僚、隣人よりも中共の政策を重視して、親兄弟、親族、友人、恩師、上司、同僚、隣人を告訴することを正義として褒賞するのである。
文化大革命の悲惨を思い返すがよい。毛沢東は暴動装置・紅衛兵を使い、政敵とした劉少奇国家主席に三角帽子をかぶせてつるし上げ、軟禁して緩やかに、かつ残虐に殺した。政敵を露骨に、時に狡猾に抹殺するのが容共左派の常套手段である。
毛沢東曰く、「人民は我々が組織しなければならない。反動分子は我々が人民を組織することによって打ち倒さなければならない。すべて反動的なものは、倒さない限り倒れはしない。これも掃除と同じで、ほうきで掃かなければ、ごみは一人で逃げはしない」。
容共左派政権のもとでは、人権擁護、性差解消、貧困救済、環境保護、友愛、国連主義などの名の下に、2600年の歴史・文化・道徳を保守しようという「反動分子」は駆逐を免れ得ない。天皇制も毀損されるだろうし、靖国神社も攻撃されるだろう。日教組などの左巻きが教育の根幹を破壊するだろう。
なぜそれが分かるかと言えば、小生は左巻きの中核派だったからである。歴史への無知ゆえに暴力を背景に反動分子を叩くことをためらわなかったからである。マッカーサー・チルドレンだったからである。
最終的には共産主義に行き着くしかない「戦後レジーム」は、マックの2・1ゼネスト禁止(1947年)で頓挫した。
マック曰く、「現在の日本の困窮した事態において、かくも恐るべき社会的武器の行使を許さない旨を通告、同時にかかる行動をこれ以上進行させることを中止するよう指令した」。
容共左派は戦後レジームの総仕上げをし、真っ赤に染め上がった日本を中共にうやうやしく提供するのだろう。国民の多くがそれを望んだのだから、もはや言うべき言葉もない。お迎えはまだか。ナンマンダブ、ナ
ンマンダブ・・・
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3799 当確「バカタロー自滅選挙」 平井修一

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