信州・上田には私の母の実家がある。旧姓は木村真喜、明治四十三年一月九日生まれ、小学校の卒業免状には長野県士族・木村真喜とある。今度の信州旅行では母の義妹である臼田絢子さん(旧姓は木村絢子)と十年ぶりに会った。
私は久しく絢子さんを従姉と思って付き合ってきた。昭和五年生まれの彼女とは、子供の頃から姉・弟の様な付き合いをしてきている。七十九歳になった絢子姉は、茶道関係の世話役をしているが、同じ上田高等女学校の先輩から「木村真喜さんは自由恋愛の走りだった」と聞かされたそうだ。
長野県士族の娘が、アカといわれたプロレタリア作家と親が許さぬ駆け落ち同然の結婚をしたのだから、自由恋愛の走りと評判だったのだろう。
母の実弟は木村金一郎(故人)。妻は木村恒子(旧姓茅野)、上田高等女学校を出た才媛で八十九歳になるが、今以て記憶力が抜群。絢子姉の話に「松井須磨子は近い縁戚だが、自由恋愛を地でいった人」と昔語りをしてくれた。
恒子叔母の実家・茅野家は上田市でも名が知れた養蚕農家。この一族は秀才、才媛を輩出している。北大名誉教授だった茅野春雄氏、その弟で八十二銀行頭取だった茅野實氏がいる。
いずれも初めて聞く話で、とくに上田に縁がある女性の持つ激しい情熱的な生き方に、興味を持った。母の生き方は田村俊子賞の受賞作家・一ノ瀬綾さんが一九九二年に「幻の碧き湖」(筑摩書房)の伝記小説を書いている。
松井須磨子・・・明治十九年に長野県埴科郡清野村(現・長野市松代町清野)に生まれ、八歳の時に上田町の長谷川家の養女となった。上京して新劇女優として名をなした。明治四十四年「人形の家」の主人公ノラを演じて評判となり、大正二年の「復活」(トルストイ原作、島村抱月訳)のカチューシャ役が大当たりし、一世を風靡する人気女優となった。
彼女が歌った主題歌「カチューシャの唄(復活唱歌)」(島村抱月作詞・中山晋平作曲)のレコードは二万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。松井須磨子は日本初の歌う女優といわれる。
だが、大正七年に島村抱月がスペイン風邪で病死すると、二ヶ月後に芸術座の道具部屋で縊死自殺した。天国で島村抱月と結ばれることを願った壮絶な生き様である。激しくも悲しい生涯だったといえる。
私たちが宿泊した上田温泉「祥園」は、別館の「寿久庵」が大正ロマンの宝庫となっている。松井須磨子の縁者たちが、「寿久庵」に二泊したのは偶然だが、何かの導きかもしれない。
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コメント
古沢 襄様
私は上田に生まれ、古沢様もご卒業なさった上田高校を昭和28年に卒業、大学時代を4年間、京都で過ごしました。大学を33年に卒業し大和銀行に入行し六十歳で退職、40年ぶりに上田に帰りました。その後「上田の洋楽事始め」というテーマの研究を始め、明治29年に上田で結成された10人編成の吹奏楽隊の写真を発見し、それを辿って中山晋平、松井須磨子の繋がりを掴みました。「祥園」の設えは、祥園のお女将よりご依頼があり、纏めたものです。古沢様のお目に留まったこと光栄に思っております。北條彰一