私は、ここ十年来、東北人のことを書いてきた。だから、しばらくは信州人のことを書こうと思う。ジャーナリストは自分の目で見て、耳で聞いた知見を大切にする。それは狭い知見になるかもしてないが、実証的である。七十七歳になった私の経験などは、人生のほんの一瞬のものかもしれない。
その自覚があるから、できるだけ人の話に耳を傾ける”聞き上手”になる様に努めてきた。三日間の信州旅行だったが、三人の女性といろいろな話に興じた。男は私と従弟の木村文厚氏だけ。しかし、この四人はまさしく信州人の特徴的な性格を備えている。
東北人と信州人の”合いの子”である私は、少し距離を置いて生粋の信州人を観察しながら、信州人の性格を考える。そこから母の姿を重ね合わせて、信州人の魅力に近づくつもりでいた。
三人の女性は、叔母に当たる木村恒子(旧姓茅野)、姉といっていい臼田絢子(旧姓木村)そして妹といっていい滝沢晶子(旧姓茅野)。いずれも信州・上田の人である。少年時代から、この三人と接してきた想い出は数々ある。皆、古希を越えたが、才媛だったから会話が楽しかった。
信州人に共通するのは、批判精神と自己主張が強いといわれてきた。革新的であるとともに歴史や伝統に執着する二面性を備えている。女性たちも例外でない。ウジウジせずに思ったことをズバズバ言う。あるいは私の一族の女性たちは、その傾向がとくに強いのかもしれない。
その信州人の性格について上田出身の作家・新田潤氏は「片意地な街」の小説で見事に描いている。日本のゴーゴリといわれた新田氏は父と母の友人であった。作家・高見順氏の親しい友であり、まだ東大の学生だった田宮虎彦氏の文学的な才能を発見した人でもある。
信州は北信(長野など)、東信(上田など)、南信(松本、岡谷など)で、地域性があって性格が少しづつ違う様に思う。しかし進歩的な革新性と伝統・文化を重んじる二面性は変わらない。おまけに自己主張を隠さない特徴がある。
滝沢晶子は私より七歳年下だが、まだ小学校にあがる前から知っている。敗戦直後のことになるが、木村家で映画を観にいくことになった。女性たちは上原謙と田中絹代が共演する恋愛ものを観にいくことになった。上田には映画館は二つしかない。中学生だった私は駅前の倉庫を改造した映画館に掛かっていた西部劇を観たいと言った。
そうしたら晶子は「ジョウと一緒に行く」と自己主張をして譲らない。七軒町から晶子を負ぶって松尾町の坂を下って映画館に連れていった想い出が残る。その晶子は丸子町の大きな酒造会社に嫁入りした。銘酒「喜久盛」の醸造元。今は合併して信州銘醸の大奥様だが、三人の女性たちで一番よく喋った。
茅野一族の中でも一番目立つ女性で世話好き。目が大きい美形は七十歳になっても変わらない。私は平成の松井須磨子とからかった。
茅野姓の出自は「姓氏家系大辞典」にも出てこない。少なくとも私の一族の茅野氏は明治維新以降、日本の主力産業であった繭の重要な供給地として、急速に勃興した東信を背景にして出てきている。
本拠地は小県郡岩門村(現在の上田市)。恒子叔母の祖父、父の代に蚕の種屋として産をなし、岩門村に白壁の大きな家を構えた。その父の兄弟は旧制上田中学を出て八十二銀行に勤め、岡谷支店長になった。息子たちは東大を出て、北大名誉教授や八十二銀行頭取になった。恒子叔母の従兄弟になる。
これとは別に南信の諏訪郡宮川村(現・茅野市宮川)を出自とする茅野姓がある。カメラメーカーのチノン株式会社創業者・茅野弘氏が有名。大正十二年の生まれだが、養蚕業とは関係ない。またこの一族から諏訪護国神社元宮司の茅野光英氏も出た。
茅野市は南信の精密業を背景にして栄えたが、近来は八ヶ岳、白樺湖、蓼科高原、車山など観光資源に恵まれていることから、近隣の岡谷市や諏訪市を抜いて諏訪地域で最大の人口を擁している。私は身近な東信の茅野氏を調べたいと思っている。
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3825 三人の信州女性たち 古沢襄

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