日本では、2003年頃から焼酎乙類を対象とする「本格焼酎ブーム」が起き、この年には焼酎類全体の出荷量が日本酒の出荷量を約50年ぶりに上回った。2004年には売上高もピークを迎えた。ブームに伴って、本格焼酎を専門に扱う焼酎バーも登場している。
ブームの影響によって、材料や製法にこだわった焼酎も盛んに市場へと送り出されていた。鹿児島で本格焼酎は1500円前後の商品が消費の中心であるが、より美味しい焼酎を望むニーズと、作り手のこだわりによって高価格で本格志向である味の焼酎も登場した。
しかし、少なからぬ弊害も生じた。ブームのピーク時には芋焼酎の原料となるサツマイモが市場に不足する深刻な問題が起きたほか、一部銘柄ではプレミアがつき、1本数万円などという値段が付けられるようになり、「森伊蔵」については偽物が出回る事件にまで発展した。
本格焼酎需要急上昇に伴い、各地で焼酎の生産設備拡充や休止酒造場の再開、新規参入などが図られた。しかし2006年初頭からブームは沈静化しつつある。
例えば帝国データバンク福岡支店は2006年の売上が2年連続で下落したことから焼酎ブームは去ったと分析し、ブームの反動・縮小による焼酎業界への悪影響を懸念している。
日本銀行鹿児島支店が2008年2月に公表した、今回の焼酎ブームについてまとめたリポートでは「今回のブームは終焉した」と指摘、「銘柄選別の時代に入った」と結論付けた。
私は酒の国秋田で生まれ育ったから、幼少時から日本酒やドブロクに馴染んだが、東京に出た学生時代はカネが無いから新宿に出て、安酒たる焼酎をのんだ。「民衆の酒焼酎は安くて美味くて回る」とドラ声を張り上げた。
その後幾星霜流れて、焼酎に再会したのは50を過ぎた頃。宿酔をしないので麦焼酎に凝るようになって現在に至る。日本酒を同量飲むと完全に宿酔で頭痛になる。芋焼酎はその匂いで代用食として薩摩芋を食わされた戦中、戦後を思い出すから厭だ。
焼酎はどこから伝来したか。比較的有力な説は、シャム(現在のタイ王国)から琉球経由でもたらされた、とするものである。
シャムの蒸留酒は更に中東に起源を持ち、アラビア語で「アラク」と呼ばれた。焼酎は古くは「あらき酒」、もしくは蒸留器を指す「ランビキ(蘭引、英語でalembic、アラビア語でアル・インビークと呼ばれた。確かにイラクでは水で割ると白濁する酒がある。中国・韓国語では「燒酒」と表記される。
日本国内では文献記録で確認できる限り、少なくとも16世紀頃から焼酎が造られていたと見られる。
例えば1546年に薩摩国に上陸したポルトガルの商人ジョルジェ・アルバレス(フランシスコ・ザビエルにヤジロウを紹介し訪日を促した人物)は、当時の日本人が米から作る蒸留酒(原文ではorraqua;オラーカ=アラビア語のアラクに由来するポルトガル語)を常飲していたことを記録に残している。
また、鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社には、永禄2(1559)年に補修が行われた際に大工が残した「焼酎もおごってくれないけちな施主だ」という内容の落書きが伝わっており、焼酎の飲用について日本国内に残存する最も古い文献となっている。
その初期から明治時代中期に至るまでの焼酎は、製造に単式蒸留器を用いており、現代の法体系でいうところの「焼酎乙類」に限られていたが、明治28年頃にイギリスから連続式蒸留機が輸入され、高純度アルコールが安価に大量生産できるようになった。
この製法のものが「新式焼酎」として広まり、対して在来の焼酎は「旧式焼酎」と呼ばれるようになる。
その後、酒税法で「新式焼酎」にあたる「焼酎甲類」と、在来焼酎にあたる「焼酎乙類」の区分が制定された。
米焼酎
日本酒同様、米を原料とする。戦国時代から作られていた記録があり、日本酒を造るには温暖過ぎる地域で発達[要出典]したものと見られる。味はやや濃厚。
主要生産地は熊本県南部の人吉盆地(人吉・球磨地方)で、28の蔵元がひしめく。人吉盆地で生産される米焼酎は特に「球磨焼酎」とよばれ、世界貿易機関のTRIPS協定に基づく産地表示の保護指定を受けている。
2006年には地域団体商標として登録されている。香りや味わいは日本酒に近くフルーティで、減圧蒸留の普及もあって初心者にも受け入れやすい焼酎である。
この他、日本酒の名産地(秋田県、新潟県等)でも米焼酎が生産されている。
麦焼酎
元々は、2毛作によって作られる麦を原料とした物と考えられる。一般に米焼酎より癖が少なく、飲みやすいと言われる。
もともと長崎県壱岐で生産され始めたのが最初である。「壱岐焼酎」は世界貿易機関のTRIPS協定に基づく産地表示の保護指定を受けている。壱岐焼酎は米麹に麦を掛け合わせている。
麦焼酎は1960年代まで焼酎の中ではメジャーな存在ではなかったが、東京農業大学の柳田藤治によってイオン交換濾過法を麦焼酎へ応用する手法が開発され、宮崎県の柳田酒造によって実際の使用方法が確立すると多くの麦焼酎メーカーがイオン交換濾過法を導入することとなった。
その後、1960年代後半から大分県で生産されている麦麹に麦を掛け合わせる麦焼酎が日本各地で注目を浴び、現在では大分県も麦焼酎の一大産地となっている。なお、「大分麦焼酎」は地域団体商標として登録されている。
芋焼酎
江戸時代から南九州で広く栽培されているサツマイモを原料とした焼酎。鹿児島県や宮崎県南部で広く飲まれている。味はかなり濃厚で、しばしば独特の臭みがあるため、地元以外では好き嫌いが分かれるが、近年は匂いを抑えたものも作られている。
使用される麹はほとんどが米麹。サツマイモ100%焼酎は製造されたことがなかったが、1997年に国分酒造協業組合が日本で初めてとなるサツマイモ100%焼酎を発売したことで、芋麹も一般化、現在では多くのメーカーがサツマイモ100%焼酎を発売している。
主産地は鹿児島県と宮崎県南部。他の産地として、薩摩出身の流人である丹宗右衛門が製法を持ち込んだ八丈島などが挙げられる。鹿児島で生産される「薩摩焼酎」は、世界貿易機関のTRIPS協定に基づく産地表示の保護指定を受けている。
黒糖焼酎
奄美諸島では江戸時代から第2次世界大戦以前まで、泡盛や黒糖酒(黒砂糖原料の蒸留酒)が製造されていた。だが、戦間期から戦後のアメリカ占領時代にかけ、米不足で泡盛の原料に事欠く一方、黒砂糖は日本本土に移出できず余剰だったことから黒糖酒が多く作られるようになった。
そば焼酎
ソバを主原料とする焼酎。発祥は新しく、1973年、宮崎県五ヶ瀬町の雲海酒造が、山間部での特産品であるソバを原料に取り上げ新たに開発した。
以後各地の焼酎メーカーで、米・麦との混和タイプも含めて広く作られるようになった。味わいは麦焼酎より更に軽く、癖が少ない。そば屋においてそばをゆでたそば湯で割ったそば焼酎を提供している事例も多く見られる。ただし、そばアレルギーを持つ人はアレルギー症状が出る可能性があるので注意を要する。
泡盛
沖縄県特産の蒸留酒である泡盛は米を原料としており、その製法は一般的な焼酎と差異があるものの、税法上は焼酎乙類の範疇に入れられている。
粕取り焼酎
もろみ取り焼酎とは別の製法で、清酒かす(日本酒の酒粕)を蒸留して造られる「粕取り焼酎」と呼ばれる焼酎がある。粕取り焼酎は九州北部を中心に発達し、全国の清酒蔵で製造されている。
太平洋戦争後、カストリと混同されたこと、独特の香りが時代の嗜好に合わなかったことなどから需要が低迷し粕取り焼酎の製造から撤退する蔵が相次いだ。
また、かつては福岡県内を中心に粕取り焼酎専業の蔵も多くあったが、現在では米焼酎の製造を行うなど、専業蔵は消滅している。しかし、昨今の焼酎ブームにより、日本酒製造メーカーが粕取り焼酎に再び進出するケースが増えている。
梅酒をつける際にベースとなるアルコールやみりんの主原料としても使われた他、日本酒の仕上げ工程において中途で発酵を止め、防腐や辛口に仕上げる目的で用いられる「柱焼酎」として使われる場合も多かった。また、外傷の消毒薬としても用いられた。出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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