3846 バラマキ政治から脱却する時 伊勢雅臣

■1.「公約は膏薬(こうやく)。貼り替えれば効き目が出る」■
「公約は膏薬(こうやく)。貼り替えれば効き目が出る」とは、小沢一郎の口癖だった。事実はどうか。保守系雑誌『月刊日本』の平成15(2003)年8月号に小沢はこんな事を書いている。
<日本人は根本的に臆病で、時代の変化に対応する改革を、自分の責任でやることがなかなかできない。困ったことが起きると、お上に何とかしてくれと泣きついたり、親が悪い、社会が悪いとすぐ他人のせいにしたりする。ずっと、過保護できたため、『甘えの構造』から脱却できないのだ。われわれは、「フリー、フェア、オープン」を新しい日本の三原則に掲げているが、個人の自立が一番の課題だ。>]
この時、小沢一郎が党首を務めていた自由党は「日本一新十一基本法案」を発表した。「所得税率半減」「法人税引き下げ」「起業時の課税免除」などを含め、まさに努力した企業や個人が報われる税制を実現して、日本経済の活力を創出しようと、レーガン、サッチャーばりの政策を主張したのである。
平成18(2006)年4月、わずか3年前の民主党代表選でも小沢一郎は同様の考えを示していた。ところが、同年9月に発表した『私の基本政策』には、「所得税半減」は消え、格差をなくすこととともに、資産性所得の課税強化が記されている。
今回の衆院選のために民主党が掲げた「マニュフェスト2009」でも、「こども手当、年31万2千円」「月額7万円の最低保障年金」「農業の個別所得補償」など、バラマキ項目が目立つ。まさに『甘えの構造』そのものであり、「個人の自立」とはほど遠い。「公約(膏薬)の貼り替え」を小沢は忠実に実践しているようだ。
■2.「英国は労働党のブレア首相でさえ米国と行動をともにする」■
外交分野でも、小沢の「貼り替え」ぶりは鮮やかだ。平成8 (1996)年に出版した『語る』(文藝春秋)では、こう述べていた。
<アメリカはいまでもナンバーワンの国として存在しているけれども、だんだん相対的に力が弱くなってきている。・・・アメリカが弱くなってきて、いろいろ注文をつけている。
その全部が正しいわけじゃないけど、今度は日本が協力すべきです。日本が世界の国々と、そしてアメリカと仲良くしていくということが、日本の生存のための前提条件である以上、可能な限り、要求に応えるべきだと思うね。それを「従米」というなら、じゃあ日本が平和に豊かに生きていくには、他にどんな方法があるというんですか。>
「親米」を通り越して、「従米」と言われることも甘受する政治家は、自民党の中にも珍しいのではないか。
平成11(1999)年4月2日の産経新聞のインタビュー記事では、自由党首としてこう語っている。
<本当の日米関係を築くなら、日本は同盟国、友人としてやれるだけの責任と役割を果たさないとダメだ。英国は労働党のブレア首相でさえ最後は米国と行動を共にする。国家としての威信とプライドをきちんと持って同盟国として存立しているということだ。>
平成15(2003)年6月には、イラクへの自衛隊派遣を内容とするイラク特措法案に対する賛否を明らかにしていない民主党(小沢の合流前)に対して、自由党首・小沢は、こう批判した。
<安全保障について、基本的な原則や理念をまとめきれていないのではないか。判断基準がはっきりしないから、審議が始まっているのにどうしたらいいか分からない。。>
■3.インド洋上の給油活動に反対■
しかし、小沢が合流し、代表となった民主党は、これらの発言とは正反対の行動を見せた。平成19(2007)年秋、テロ対策特措法延長に反対したのである。
米国の同時多発テロ事件を実行したと見られる国際テロ組織アルカイーダに対して、そのアフガニスタンの根拠地への武器・弾薬、テロリスト、および資金源となる麻薬のインド洋上での輸送を阻止するために、各国から艦艇が派遣されていたが、これに対する海上自衛隊の給油活動を延長しようというのが、「テロ対策特措法」であった。
小沢代表は「アフガン戦争は国際社会の合意なしに米国独自で始めた」「米国の戦争」と反対した。しかし、洋上給油は米国のみならず、フランス、ドイツ、パキスタンなど11カ国もの艦船に対して行っていた。
この活動は国際社会で高く評価されていた。補給を受ける艦船と30~50メートルの間隔でホースをつなげたまま何時間も併走するのは、容易な業ではない。それも外気温は最高40度超、甲板上は70度を超える酷暑の中での作業である。これだけの技術と忍耐を持つ海上自衛隊の給油活動には、各国指導者から賞賛と謝意が寄せられた。
米英以外は自国の補給艦をもたないため、海上自衛隊を主要な補給源として頼っている。なかでもパキスタンは、燃料だけでなく水の補給も頼っている。自衛隊が補給活動を止めれば、パキスタン海軍は海上阻止活動から離脱する可能性もある。イスラム国パキスタンの参加は、テロリスト側にキリスト教対イスラム教の「文明の衝突」という宣伝をさせないためにも、重要なのである。
■4.「米国の戦争を支援する『対米追従法』」■
民主党も当初は補給支援活動そのものには賛成していた。平成13(2001)年、鳩山を代表とする民主党は「テロ特措法の趣旨には賛成」としながらも、国会の事前承認という手続き上の問題で反対した。平成15(2003)年には、独自の対案を作成し、その中では補給支援を認めながらも、国会事前承認を加えたものだった。
ところが、平成19(2007)年、小沢代表率いる民主党は、参院選の大勝を受け、突然「海上自衛隊の補給支援活動は、国連安保理決議に基づく国際活動ではないので、違憲の疑いがある」と主張を大きく転換した。これでは、今までの民主党の「補給活動そのものには賛成」という主張も、自ら否定したことになる。
しかも、小沢の主張は事実にも基づいていない。国連安保理決議1368では、国連加盟国に対しても「テロの脅威に対処する努力を強化」することを要請しており、日本の「テロ特措法」は、その要請に応えるものであった。
小沢民主党は自らが多数派を占める参院で、「テロ特措法」の審議を棚上げにし、結局、衆院での再可決によって法案が成立するまで、補給活動は2カ月以上も中断された。
小沢は、過去の自らの主張も、民主党のそれまでの主張もすべてかなぐり捨てて、参院多数を武器に、海上自衛隊を2カ月、脱落させた。小沢民主党のごり押しは、自民党政府に大きな失態を与えることに成功したが、同時に日本の同盟国としての国際的な信頼も大きく傷つけたのである。
■5.改憲派から護憲派まで一人でカバー■
政治の根幹は憲法だが、これについても小沢の「貼り替え」ぶりは見事である。昭和61(1986)年、自民党政権で自治相だった小沢は日経のインタビューでこう語っている。
<英文和訳した憲法だけに「理想宣言」みたいなところがあり、個々の実態と合わなくなっている面も多くある。憲法9条では文字通り戦力を持ってはいけないのに戦力を持っているとかね、運用・解釈論は必要だが、すべてをそれでやると非常に危険です。ある程度のものをきちんと合意してつくっていくことが必要で、その意味では私は改憲論者かもしれないな。>
ところが、平成13(2001)年には、自由党首として朝日新聞のインタビューで次のような発言をしている。
<我々は、日本国憲法の理想に沿って率先してやらないといけない。極端な言い方をすれば、自衛隊を全部国連に預けるべきだ。国内には、ほんの応戦部隊と訓練部隊でいいと私は考えている。>
防衛戦力としての自衛隊を認めず、すべて国連に預けてしまおうという、過激な主張に変わってしまっている。
その後、民主党に入ると、横路孝弘衆院副議長ら党内旧社会党グループとの間で「日本の安全保障、国際協力の基本原則」という合意文書を結んでいる。これは「自衛隊は憲法9条に基づき専守防衛に徹し、国権に発動による武力行使はしないことを日本の永遠の国是とする」という9条墨守の内容である。
憲法9条を巡っての小沢の主張の変遷を見れば、改憲派から護憲派まで一人ですべての議論をカバーしているのである。
■6.「政権奪取への執念」と「日本の民度への不信」■
以上、社会経済、外交、憲法など、基本的な問題について、小沢の「膏薬の貼り替え」ぶりを見てきた。こうして見ると、衆議院議員・高市早苗氏の次のコメントはもっともと思える。
<本来は政治家として変更することが稀だと思われる重要な価値についても、小沢一郎氏は世論の潮流に合わせて躊躇なく変更を重ねている。
先輩議員に対して失礼な言い方で恐縮だが、小沢一郎氏の昨今の著作や発言からは、「揺るぎない国家経営の理念」や「政治家としての良心」といったものは伝わってこなかった。そこに見えたのは、手段を選ばぬ「政権奪取への執念」と「日本の民度への不信」である。>
「日本の民度への不信」とは、「公約は膏薬。貼り替えれば効き目が出る」として、政治家としての根本的な主義主張はいかように変えても、目先のバラマキ公約を膏薬として貼り替えていけば、票はとれる、という、一般大衆に対する侮蔑的な見方である。
■7.バラマキ政治が民主主義の基盤を壊す■
中西輝政氏(京都大学教授)は、こうしたバラマキ政治が民主主義の基盤を壊すという危険性を指摘している。
<「私の政党に票を入れてくれれば、年金をこれだけ差し上げますよ」というのは、有権者に賄賂を握らせ、国民に総買収を仕掛けるような効果を持つのである。このような浅ましい手法は、民主主義の基礎を壊すことにもつながりかねないのである。
実際、その手法を最大限に駆使して民主主義を崩壊させたのは、あのヒトラーであった。1920年代、大量の失業者を抱えるドイツでは、国民への給付問題が大テーマであった。
ここでヒトラーのナチス党は、自分たちが政権を取れば年金支給額や失業保険額を大幅に増やすと訴えた。もちろん、その財源について細部まで詰められていたわけではない。
だが大衆はこれを熱狂的に支持した。そうしてナチス党は勢力を拡大し、年金問題が争点となった。1930年代の総選挙で107議席を獲得、ナチスは一躍、国家的な大政党にのし上がったのである。>
小沢は、政党を作ったり壊したりを繰り返してきたことから、「壊し屋」との異名を持つが、民主政治の壊し屋になる恐れもある。
■8.吉田茂の逆転戦略■
民主党のバラマキ戦術に対して批判的な人も多いだろうが、かと言って自民党のままでも何も変わらないという閉塞感がある。そもそも自民党自体が、高度成長が終わってからは小沢一郎の師である田中角栄以来のバラマキ戦術で長期政権を維持してきたのである。
しかも今回の選挙では、民主党の仕掛けたバラマキ戦術に自民党も乗ってしまい、バラマキ合戦の中で、どの党も、日本の未来を託すビジョンと政策を語っていない、という所に、今の政治の混迷がある。
この閉塞状況を打破するために、中西氏がヒントとして提示しているのは、昭和22(1947)年に食糧難により不人気だった吉田茂内閣の自由党が、選挙で第一党の座を失った事である。
<吉田は「民意が与党の政権担当能力に疑問を付けたからには、政権交代するのが、憲政の常道である」として、内閣を投げ出す。政権にしがみつけば、野党や左翼の勢力を一層強め、日本を誤った道に向かわせると考えたのである。>
こうして発足したのが、日本社会党の片山哲内閣である。だが、野党として与党批判ばかりしていた日本社会党には政権担当能力がなく、あらゆる失政が次から次へと生まれ、吉田時代には聞いたこともない汚職や疑獄事件が相次いだ。
結局、昭和23(1948)年末に解散・総選挙を強いられる。ここで吉田自由党は圧倒的な大勝利を収め、以後、自民党政権による、日米同盟のもとでの高度成長という戦後保守路線が花開いていく。
■9.日本の行く末を真剣に考えている政治家を選ぼう■
「もし民主党政権ができたとしても、おそらく1、2年で破綻する」というのが、中西氏の予測である。
自民党を飛び出した人たちから、旧社会党右派までを寄せ集めた民主党では、バラマキ戦術以外の党の基本政策について合意ができておらず、この「政党」としての致命的欠陥が政権を担当した途端に露呈してしまうと思われる。社会党の片山内閣と同じことが起こるだろう、という予測である。
その後では、やはりバラマキだけではダメだと国民も政治家も目覚め、根本的な政界再編も始まるだろう。その時にこそ、日本のあるべき姿を語る政治家たちが力を振るう時である。
現在の自民党にも民主党にも、日本の行く末を真剣に考えている政治家が少なくないはずである。まずは今回の選挙で、そのような真の政治家を一人でも多く、国会に送り込んでおくべきだろう。
杜父魚ブログの全記事・索引リスト 

コメント

タイトルとURLをコピーしました