3857 サイコロ・ステーキをご馳走になった 古沢襄

細川隆一郎さんが亡くなった。政治記者の大先輩。十三歳も年上だったから雲の上の存在だったが、神戸支局長で都落ちしたので「オヤッ」と思った。毎日新聞で一番、仲が良かった江口宏氏(元下野新聞社長)に聞いたら「共同政治部にも派閥抗争があるだろう・・・」。
広島で原水禁大会があった。江口氏と出張取材したのが、帰りの汽車で「おい、神戸で下りよう」。そのまま毎日新聞神戸支局に行ったら、細川隆一郎さんが「おう、来たか」。ギョロ目の懐かしい顔だった。江口氏は政治部時代から細川さんと仲が良かった。口数が少ない江口さんだが、万感の思いが私にも伝わってくる。
「さあ、行くか」。細川さんは江口氏と私を連れて夜の神戸の街に連れ出してくれた。そこで初めて鉄板で焼くサイコロ・ステーキをご馳走になった。細川さんは大きな声で語り、豪快に笑う。江口さんは黙って、時々ニヤリと笑う。以心伝心というのだろうか、毎日政治部の先輩、後輩の信頼関係が羨ましいと思った。
間もなく、細川さんは毎日新聞の政治部長になって戻ってきた。「良かったな」と江口さんに言ったら、無口男はニヤリと笑っただけであった。
<細川隆一郎さん90歳(ほそかわ・りゅういちろう=政治評論家、元毎日新聞社政治部長)25日、老衰のため死去。葬儀・告別式は未定。喪主は長男隆三(りゅうぞう)さん。
1942年毎日新聞社に入社。主に政治記者の道を歩み神戸支局長、政治部長、東京本社編集局次長、中部本社編集局長などを歴任した。政治部長在職中の67年、佐藤内閣下での「黒い霧」と呼ばれた政治腐敗事件のキャンペーン報道で、日本新聞協会賞を受賞。73年に退社後は政治評論家に転身、テレビ、ラジオなど幅広く活躍し、歯に衣(きぬ)着せぬ語り口で人気を呼んだ。(毎日)>
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