3858 佃煮は余り物保存食 渡部亮次郎

佃煮(つくだに)とは、東京都中央区佃島を発祥とされる海産物の煮物のこと。 大阪・佃村(現大阪市西淀川区)を訪れた徳川家康が、漁民が保存食として作っていた煮物が気に入り、現在の東京・佃島に彼らを集団移住させ、「佃煮」を作ることを命じたと言われる。(「ウィキペディア)
別の説では、織田信長が本能寺で自害したとき、大阪にいた家康は漁民の助けで無事,尾張に帰還することができた。その褒美に、後日、漁民らを江戸の佃島に招き、大きな漁業権を与えた。そこでその漁民たちの作ったのが佃煮だという。
秋田県の旧八郎潟や茨城県の霞ヶ浦では、シラウオ オキアミ、鮒(ふな)、川海老などの小魚を材料とする佃煮業者がかつては大勢いたものだが、ご承知の通り、八郎潟は干拓された。佃煮業者は殆どが転業した。
また霞ヶ浦でも資源が減少、佃煮業者はかすかにしか残っていない。ここでは材料を外国から輸入している業者もいるとか。
八郎潟沿岸で育った私は子供のころは佃煮が好きだった。だが、当時は戦争中のこととて、小魚は捕れても飴や砂糖が皆無になったので口に入らなくなった。
敗戦後、佃煮製造は復活したが、今度は高値で口にはいらないまま大人になって、甘辛くないもの、酒が大好きになってしまった。東京生まれの家人は殆ど食べないので、デパートで買ってくる事は滅多になくなった。
一般に海産物、とりわけ小魚、アサリなどの貝類、昆布等の海藻類、山地ではイナゴ等の昆虫類などを醤油・砂糖等で甘辛く煮染める。
今日で見られるような佃煮を作り始めたのは東京・浅草橋にある「鮒佐」だといわれている。牛肉の佃煮も目にする。
もともとは小さすぎて市場に出荷できない魚を漁民が自家用に保存食としたものだという。濃い味付けのために保存性が高まり、参勤交代の武士らが江戸からの土産物として持ち帰ったため広まった。今では全国各地に土地の名物の佃煮はあり、江戸前に限るということはなくなった。
余り物利用の保存用食品であったことから、物が有り余ってもて余すさまを「佃煮にするほど沢山」などと表現したりする。
現在市販されている佃煮は、うす味、甘口で、真空包装の物や、無添加であっても要冷蔵の佃煮が多い。
本来の江戸前佃煮とは、冷蔵庫や真空包装のない時代に、常温で夏でもおにぎりや弁当に入れても傷まない辛口のものが安心で重宝された。
現在も数軒だが『浅草橋の鮒佐』や『柳橋の小松屋』など、職人の技により手造りの本物の佃煮が日本の食文化として今に受け継がれている。
主な材料 小魚 穴子 牡蠣 シラウオ オキアミ 昆布 海苔 干し椎茸 鮒(ふな) アサリ ハマグリ イナゴ ざざむし 玉筋魚(いかなご) 鯉 ウナギ ヤツメウナギ(乾物) など。出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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