3876 遺言「この日本、何とする」 岩見隆夫

亡くなる3日前の早朝だった。22日土曜日の午前7時5分、「ラジオ日本」から、政治評論家、細川隆一郎のしっかりした声が流れた。
「こんどの選挙を見てると、自民党も民主党も国家の基本についてどう考えるのか、ということが極めて不明確である。国民の一員として誠に不満だね……」
長女の政治ジャーナリスト、細川珠生と2人で週1回語り合う15分間のラジオ番組<珠生・隆一郎のモーニングトーク>だ。95年にスタートしてこれが731回目、最後の放送になった。
収録は衆院選公示日の18日、東京・練馬の療養施設<シルバーシティ石神井>の病室でやられた。細川はベッドに横になり、数分しゃべっては休みながら、絞り出すような調子で政治の危機を語ったという。
「いまの状況は、自民党も民主党も憲法改正という重大問題で腰が引けてる。逃げてるね。西ドイツは占領解除と同時にドイツ人の手によるドイツの憲法を作ったんだ。
日本人は占領軍の押しつけた憲法をそのままにした。日本はまだ独立国じゃないんだよ。ならば、独立国としていかなる憲法を持つか、政界あげて議論する必要があるのに、戦後何十年もふらふらしている。
こんどの選挙は、吉田茂の講和、保守合同、岸信介の安保改定に匹敵する大きな変わり目だ。鳩山(由紀夫)君はあせらずにまず民主党をまとめなければならない。そして、この日本を何とするか、を決める時だ」
細川はまた、殺人事件の半分が親族間で起きている日本社会の現状を憤り、「いつの間にこんな国になってしまったんだ。教育と道徳を何とかしなければいかん」とも語った。
戦前の1942年9月、毎日新聞社に入社してから67年、文字どおり生涯現役を貫き、90歳で去った老ジャーナリストの遺言である。
6年前、脳梗塞(こうそく)で倒れてから車椅子の生活になり、両目ともほぼ失明状態だった。それでも、ラジオ出演、雑誌執筆、月1回の内外問題研究会の主宰を続け、9月の講師には民主党の鳩山代表が決まっていた。
「目が見えないと、いろんなことがかえってよく見えるもんだよ」と最後まで強気で、珠生には、「鳩山君の政権を見たい」 ともらしていたという。
戦後、政治評論を手がけたジャーナリスト、学者は数多くいるが、故人で印象に残るのは馬場恒吾(1875~1956)、阿部眞之助(1884~1964)、細川隆元(1900~94)、唐島基智三(1906~76)、藤原弘達(1921~99)らだろうか。
なかでも朝日新聞出身の細川隆元は、細川の叔父でやはり94歳の長命だった。57年TBSテレビで始まった<時事放談>が小汀利得、藤原らとの毒舌トークで人気番組になる。
約30年続いたが、隆元は老齢を理由に87歳で番組を降りた。また、毎日新聞出身でNHK会長などをつとめ80歳まで生きた阿部は、死の前月まで東京新聞に匿名コラムを書き続けたという。
だが、細川のように、卒寿を超す高齢でなおも死の3日前まで、という執念をみせた例は聞いたことがない。
死亡記事には<辛口>や<毒舌>が目立ったが、そうでもない。切り捨てる一方で、褒めるのもうまく、陽気だった。
あすは審判の日である。細川が言うように、戦後政治が大きなうねりをみせることになりそうだ。(敬称略)
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