よく「俺の目の黒いうちは・・・」などという啖呵が小説に出てきたりする。海外の小説には出て来ないから、日本人の目は黒いものと決めていた。だがアメリカ人にかかると黒くない、そうだ。
沖縄がまだ日本に返還される前、主席(知事)を公選できることになり、その選挙の取材を命ぜられて、パスポートを取得して那覇空港に降り立った。昭和43(1968)年10月の事だった。
ふと見ると脇の女学生に脛毛が有り、風になびいていたので、なるほど、ここは異国だなあと思わされた。とにかく地面からの太陽の反射が眩しくて目を開けていられない。眼鏡屋に飛び込んでまずサングラスを買った。
翌日、アメリカから来ている高等弁務官の事務所への出頭を命じられ
各基地への取材入場(ID)カードの申請を命じられた。厭も応もない。髪の毛の色は黒、瞳の色も黒と申請したら刎ねられた。
「お前の瞳は黒じゃない。黒いのはオキナワ人。日本人のはブラウン」と書き直された。俺の目は茶褐色なんて考えてことも無かったから、お陰で認識を改めた。
さて主席選挙の票読みのために、1日10ドル(3600円)で雇い挙げたタクシーで島のあちこちに行ってみるが、どこで誰と会ったらいいのか丸で見当がつかない。立会演説会らしき会場へ私が入ると弁士は途端に現地弁に切り替える。
そうやってふらついているうちに妙な事に気がついた。「ナショナル電気洗濯機」の宣伝車が終始、尾行しているのだ。牛の角突き大会にも尾行してくる。文句を言おうとすると逃げる。
多分、主席選挙の結果を案ずる弁務官事務所差し回しのスパイだろうと抗議をしたら、あっさり認めた上で「我々はミスター・ワラナベの言動に細心の注意を払わざるを得ないのだ」といいつつ私の東京本社への連絡内容も24時間盗聴していると言いながら一抱えもある録音テープを見せた。
なんだ、私なんかより反米色の強い新聞記者が何人も来ているじゃないか、と問えば「新聞は空港で検束できるからいいが、ワラナベの東京発の電波は防げない。だから発信元から監視するのが当然だろう」とアッケラカンとしたものだ。「その代わり基地の見学を案内しよう」。アメリカ流というのか、負けた。
選挙結果は革新の屋良朝苗氏が大勝。アメリカ軍は私の予測報告電話を盗聴しているから「予想どおり」と笑って片目をつぶった。もはや怒る気にもならなかった。
41年前の思い出。この4年後に沖縄は日本に返還されたが、アメリカ軍は依然として駐留しているのが現実だ。
杜父魚ブログの全記事・索引リスト
3889 「お前の目は黒くない」 渡部亮次郎

コメント