選挙で大敗した自民党の漂流が続いている。首班指名選挙で自民党は白票を投じるという前代未聞な議論がまかり通る体たらく。麻生太郎と書きたくない気持ちは分からぬでもないが、これでは党再生はかけ声だけに終わる。来年夏の参院選でゴロ負けになるだろう。
16日の特別国会まで、まだ時間がある。後継総裁選びで下らない手続き論でモタモタしている様は天下に醜態をさらす様なものだ。これでは支持者の自民党離れがますます進む。二大政党制をいうなら、健全な野党として巨大化した民主党に立ち向かう覇気が欲しい。
個人的には人気三位の石破茂農林水産相しかいない様に思う。人気一位の桝添厚生労働相に立候補の意思がないのだから、石破氏に党内の期待が収斂されてくる気がする。もう人気の風まかせで党首を選ぶことはやめた方がいい。
麻生首相も辞意表明にとどまらず、きっぱりと自民党総裁を辞任すべきでないか。白票を投じられる屈辱に甘んじるべきではない。すべてが後手に回ってきた麻生氏だが、最期だけは有終の美を飾ってほしい。
<石破 茂(いしば しげる、1957年2月4日 ‐ )。防衛庁長官(第68・69代)、防衛大臣(第4代)を歴任。現農林水産大臣。建設事務次官、鳥取県知事、自治大臣兼国家公安委員会委員長などを歴任した石破二朗の長男。
鳥取県八頭郡郡家町(現八頭町)出身。慶應義塾大学法学部卒業後、三井銀行勤務を経て1986年7月の衆院選で初当選。以後連続当選8回を数える。93年に政治改革法案をめぐって自民党から役職停止処分を受けて離党、97年に復党するまで新生党、新進党を渡り歩いた。
もともとは農水族として地歩を築いたが、「国防がライフワーク」と語るとおり、「新国防族」などと呼ばれる安保通として頭角を現していき、防衛政務次官、防衛副長官、拉致議連の会長を務めるなどした。2002年に防衛庁長官として45歳で初入閣し、有事法制の制定に尽力した。
閣僚を経験したことで、特徴あるソフトな語り口と安全保障に関する豊富な知識が注目され、党を代表する外交・安保の論客として脚光を浴び、メディア出演の機会も急増。ニューリーダーの1人として注目されていった。
2007年福田内閣で再度防衛大臣として入閣。翌2008年の自民党総裁選に初出馬し5位に終わったが、地方票を4票集めるなど健闘したと評された。続いて成立した麻生内閣で農林水産大臣に就任した。
自民党きっての防衛政策通として知られる。また、軍事マニアと揶揄されており、日本の政治家の中では、軍事知識の豊富さと知見の高さが傑出した存在である。
防衛庁長官在任中にイラク戦争が勃発し、当時の小泉政権が自衛隊イラク派遣を決定すると、防衛庁長官として彼らの門出を見送った。2003年(平成15年)3月に情報収集機関の調査隊を改組し、防衛庁長官直轄部隊として情報保全隊を組織した。同隊は前述のイラク戦争に関する世論動向(主に市民団体)の調査をおこなうなどした。
徴兵制度の利点を認める発言をしているが、現在の軍隊にはそぐわない制度だとして実際に採用することについては否定している。自民党の憲法改正草案で当初「徴兵制度の禁止」を謳った条文が想定されていたが、石破などの「国家のために生命を懸けることができないような国家を、果たして国家と呼べるのか?」という批判で消滅した(ただし、石破は徴兵制への反対を主張している。理由として、ハイテク兵器が活用される現代の戦争において、兵器の扱いに慣れない素人の一般国民を戦闘員として参加させた場合、デメリットの方がはるかに大きいと考えているからである)。
著書『国防』では、難解と思われがちな防衛問題を分かりやすく著し、保守論壇から高い評価を得ている。しかし、京都府職員労働組合は機関紙『京都府職新聞号外』2005年6月3日において、京都府船井郡丹波町で発生した浅田農産鳥インフルエンザ事件における自衛隊出動についての記述が事実と異なると主張している。
日本テレビの番組『太田総理』では、しばしば太田光と激しい論争を繰り広げる。国防政策において太田によく噛み付かれており、番組内では山本一太と共に「天敵」と称されたこともある。
石破もまた、太田のことを「天敵」と称し、互いに意識している(太田からF-22戦闘機のプラモデルをプレゼントされたことがある)。この番組では、第二次世界大戦が日本による侵略戦争だったことや、大東亜共栄圏が侵略戦争遂行のための詭弁でしかなかったとの認識を示している。
『丸』(潮書房)を愛読し、国防関連の知識を吸収している。『週刊アサ秘ジャーナル』で『丸』から引用した問題を出題されると次々正解し、その豊富な知識を示した。ちなみに、「災害派遣時に自衛隊が実弾を発射した相手とは何か」の一問だけ解答できなかったが(正解は海獣、つまりトド駆除)、石破は知らなかったため不正解となった。石破は当初初耳だったため、出題文に衝撃を受け、何度も「災派で撃った!?」と確認し、正解を聞いて驚いていた。
福田総理辞任後の自民党総裁選で候補者として演説に立った石破は観衆に向かって「動乱が起き、北朝鮮の国民が逃げなきゃいけない時でも自衛隊は(国内法の制約で)助けに行けない。そんな国でいいのか」と述べた。
防衛問題の論客の一人であるが、外交に関しては硬軟織り交ぜた対応をとっており、イデオロギー的な主張は少ない。朝日新聞社の論壇誌『論座』にも寄稿して保守強硬派を批判している。『論座』2006年8月号においても、北朝鮮への単独制裁に対して疑問を呈している。
総理の靖国神社参拝にも反対を表明している。北朝鮮については、鳥取県が日本海側に位置していることから問題意識が強く、1992年には”見ないで批判するのはいかんだろう”という理由で自民党・社会党・公明党合同の訪朝議員団に加わり金日成生誕80周年祝賀式典へ参加したことがある。日韓議員連盟幹事を務める。
朝日新聞社刊『論座』において、教育基本法に愛国心を明文化することに反対の姿勢を示した。「愛国心は国が政策面で強制するものではない」というのが理由である。同様の姿勢をとる議員は自民党内では稀であった。
長らく最大派閥であった津島派(平成研究会)に属するが、派閥弱体化の進んだ小泉時代に頭角を現した石破は、派閥色を表に出さずに活動を続けてきたと言ってよい。
06年自民党総裁選では麻生太郎を支持したが、最後まで地元の鳥取県に地理的に近い山口県出身の安倍晋三を推薦するか迷っていたようである。2007年の自民党総裁選では福田康夫を支持している。
派内では茂木敏充、伊藤達也といった次代のリーダー候補の中でも経験・知名度とも一歩リードしており、若手を中心に支持を集めているが、かつて離党経験のある「外様」であることも響き、派内の全面的な掌握には至っていない。初出馬となった08年自民党総裁選でも、派は自主投票の方針を決め、一部議員が麻生・与謝野を支持した。
防衛省の航空幕僚長であった田母神俊雄の論文問題に関して、「現職の自衛官が自らの思想信条で政治をただそうというのは、憲法の精神に反している」と指摘。自身のブログでも「田母神・前空幕長の論文から思うこと」「文民統制」という記事を投稿し、かつての部下である田母神を批判した。
イージス艦『あたご』の事故について事故直後・捜査が入る前に航海長を省へヘリで呼び出し、大臣同席で事情調査をしたことについて民主党の前原の質問『あなたは何をしているんですか?』と聞かれ、『今はあなたの質問に答えています』と答弁をした。
テレビ朝日のサンデープロジェクトで核密約について聞かれたとき『秘密をばらすような人間を次官や大臣にするのが間違っている』と発言をした。
石破は口頭による討論を沈着冷静に進める。略歴にも「全日本学生法律討論会第1位」とあることから、かねてから討論は得意であったといえる。噛んで含めるような独特の口調であるが、街頭演説や選挙活動では口調や声が別人のように変わる。
大変な酒豪にして喫煙者。常温にして辛口の日本酒を好み、一日40本は喫煙するという。好物はカレーライスとコロッケ。納豆は苦手。
母方の曽祖父金森通倫から4代目のクリスチャンであり、日本基督教団鳥取教会に所属している。18歳のときに日本基督教団鳥取教会で洗礼を受けた石破は、幼稚園も教会附属で、「46年間、キリスト教に触れつつ信仰をもちながら生きてきた」と話した。
高校時代からアイドル歌手グループキャンディーズの大ファンであり、中でもミキ(藤村美樹)がお気に入り。2007年11月15日の守屋武昌元防衛次官に対する証人喚問において、久間章生、額賀福志郎両名の名前が出てきた日の夜、キャンディーズの曲を熱唱した。キャンディーズの30年ぶりの同窓会では、テレビのインタビューに「キャンディーズは青春そのもの。あの頃を思い出してもっと頑張ろうと思う」と答えている。
2004年~2005年に「ULTRAMAN」「戦国自衛隊1549」「亡国のイージス」など自衛隊の大規模な協力を得て撮影された映画が公開されたが、これは防衛庁長官を務めていた彼の映画産業への理解が深かったことが大きい。そのため、当時はテロやSFといった大胆なテーマの作品にも自衛隊の協力が得られるのが特徴であった。
自他ともに認める軍事オタクにして、ミリタリー系プラモデルの愛好家でもある。静岡ホビーショーにおける自衛隊車輌展示も彼の働きかけにより実現したと言われている。
少年時代は自動車、タクシー、SLが大好きな車マニア、鉄道マニアでもあった。現在でも戦車や戦闘機のプラモデルを集めるのが趣味のようである。防衛庁長官時代、ロシア国防大臣が来日した際に大臣を喜ばせるために2日間徹夜して空母アドミラル・クズネツォフの模型を組み上げた(この時、「在任中はプラモ制作を我慢する」という自戒を破ったと後に述懐している)。
ただ、石破自身は、「子供のころから戦車、戦闘機、軍艦といった、乗り物が好きで、国防や外交について『筋金入りのオタク』という意見や批判はいささか買いかぶりのような気がしてならない」と述べている。また、近頃は「軍艦が好き」「プラモデルが好き」などと言うと、すぐに危ない軍事オタクのように言われるが、それは短絡的な決め付けであるとも述べている。
鉄道のファンでもあり、ブルートレイン「銀河」の廃止の際、寝台券が入手できず残念がった。現在でも鳥取と東京の往復に寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」と特急「スーパーいなば」を利用する姿がたびたび報じられている。(ウイキペデイア)>
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コメント
靖国参拝しない総理大臣は一年持ってません。
野党生活も大変でしょうから、
誰も演りたがらないのでしょう。
国の命令で死んだ人間に敬意も払えないような政治家は嫌いですが
一年限定と云うことだったら我慢します。