3917 英国流保守主義に学ぶ 伊勢雅臣

■1.「らしさ」を失った自民党の大敗■
「自民は不満、民主は不安」と言われた総選挙であったが、結果を見れば「不満」の方が「不安」よりも大きかった。民主党のマニフェストも評判が悪かったので、民主党が勝ったというより、不満だらけの自民党に一度お灸を据えたい、というのが、民意だったようだ。
自民党への不満は、どのようなものだったのか。一つには、自民党が万年与党の地位に安住して、かつての「自民党らしさ」を失ってしまったという点にあるのではないか。
「自民党らしさ」の典型は、岸信介首相がデモ隊に首相官邸を取り囲まれながらも、日米安保条約を改定した光景だろう
ここから「日米同盟のもとでの高度成長」という路線により、自民党は日本にかつてない平和と繁栄をもたらした。
しかし、田中角栄が政権を握った頃から、自民党の変質が始まった。農林族や道路族といった利権政治家が経済効率を無視した税金投入で票を買い集め、それによって高度成長をストップさせ、財政破綻への道を開いた。
さらに日教組に迎合したゆとり教育・自虐教育、中国の軍拡を側面支援したODA供与[e]、北朝鮮拉致問題の放置など、国家国民を護る責任を果たしてこなかった。
結局、長期政権に安住する中で、親中・親北朝鮮の政治家までもが入り込み、与党としての使命感も志も失ってきたのが、自民党の劣化の歴史ではなかったか。
安倍政権での教育改革や憲法改正への努力、そして麻生首相が提唱していた「自由と繁栄の弧」など、自民党政治を本来の姿に戻そうという努力はあったが、「消えた年金」問題で参院選に大敗した事から、衆参のねじれのために立ち行かなくなった。
年金問題自体が、かつての社会保険庁と日本自治体労働組合の癒着によるものだと指摘されており、その改革をなおざりにしてきた自民党の自業自得とも言うべき問題である。
我が国の政治を正常化するためには、かつての自民党のような真の「保守党」が必要である。今後の自民党がそうなれるのか、あるいは民主党の一部と合流して新しい保守党を作るか、その道筋は別として、本稿ではまず、真の保守主義とはどういうものか、という点から考え直してみたい。
■2.「伝統」的なものと「革新」的なものとの間のバランス■
「保守」とは古いもの、伝統的なものを守ろうとする態度ではない。「伝統的なもの」と「革新的なもの」との間でバランスをとろうとする精神こそが「保守」である、と政治学者・佐伯啓思氏は言う。
<佐伯氏はかつてイギリスに滞在した時に、イギリスがいかに近代的なものを警戒しているか、を感じたという。
それは自然を見ただけでもすぐにわかります。たとえばロンドンは大都市ですが、ロンドンから出て10分も列車に乗れば、牛がその辺に寝転がり羊が草を食べている、草原地帯になってしまいます。そこから先、田舎の景色が延々と続きます。・・・
人も物も情報もすべて東京に集め、東京を発展のモデルにする。東京と郊外を結ぶ物流、人の流れ、情報の流れを、できるだけ密に、スムーズにしていく。そうやって「東京」を拡大していく。日本中を「東京化」する。日本人はそれが近代的な進歩だと考えてきました。
しかし最初に産業革命を経験し、最初に経済学を作り出し、市場競争万歳と言い出したイギリスは、まったく違っているわけです。昔の自然を可能な限り残そうとし、田園 生活を大事にしている。>
確かに、日本では地方都市のほとんどが「ミニ東京」のようになり、どこも同じようなスーパーやファミリーレストラン、ファーストフード店が並んでいて、個性も歴史も感じられない街が多い。
それに比べれば、ヨーロッパは都市の中にも歴史的な建造物が多く、またすこし郊外に出れば、そこには数年前とあまり変わらない田園風景が拡がっている。近代化という点では、ヨーロッパの方が、我が国よりはるかに慎重である。
■3.フランス革命と名誉革命■
こうしたヨーロッパの保守主義の源流の一つが、18世紀後半のイギリスの思想家エドモンド・バークである。バークは『フランス革命の省察』という本を書いて、合理主義的精神で社会を根本的に変革しようとしたフランス革命を激烈に批判した。
<人間の理性は完全ではなく限界がある。フランス革命は「自由、平等、博愛」を謳った「人権宣言」のもとに、それまでの伝統や慣習を無視して理想社会を建設しようとしたが、結局は反乱、暴動、虐殺、政治裁判、ギロチン、暗殺、戦争が際限なく続き、2百万人もの犠牲者を出した。
逆にに、イギリスの方は無血の名誉革命によって英国臣民の「古来の自由と権利」を認めさせ、以後、安定的な民主主義を発展させていった。>
歴史的なものの中にある知恵を無視してはならない。この知恵は伝統や慣習という「相続財産」の中に埋め込まれている。もしそれを無視して秩序を大変革しようとすれば、醜い権力争いへと投げ込まれ、社会が大混乱に陥る。
フランス革命は「伝統的なもの」を捨てて「革新的なもの」に飛びつき、多くの犠牲者を出した。その後もナポレオン戦争、帝政への揺り戻しと、混乱が続いた。ロシアや中国における共産革命も同じである。
一方、イギリスの名誉革命は「伝統的なもの」と「革新的なもの」との間で注意深くバランスをとりながら、安定的な国家社会を実現し、自由と人権の面でもはるかに先行した。これが英国流保守主義の神髄である。
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