半世紀も前のことになったが、社会党の江田三郎、成田知巳氏らが構造改革論を唱えて新風を巻き起こしたことがある。また民社党が北欧三国をモデルとした福祉国家論を唱えた。江田氏は自民党の三木・松村派と提携した新しい政治勢力の結集を目指した。概してマスコミは江田氏らの動きに好意的であった。
しかし足下の最大勢力だった鈴木主流派から激しい反発を受けて、江田氏は社会党大会で書記長の座を追われることになる。
構造改革論はナチス・ドイツの占領下にあったイタリアで、イタリア共産党のパルミロ・トリアッティが唱えた理論。軍事蜂起でナチス・ドイツに殲滅される冒険主義を避けて、敵陣地内に橋頭堡を築き、戦う構造改革を合い言葉にして、執拗なレジスタンスを展開した。
戦後、日本共産党の佐藤昇氏がトリアッティ理論を紹介して、導入されたが、党内の理論闘争に敗れて、多くの構造改革論者が脱党した歴史がある。このグループが、社会党の江田三郎、成田知巳氏らの理論的な支柱となった。
当時、社会党・民社党を担当していた私は、社会党の国会事務局長だった貴島正道氏から構造改革論の手ほどきを受けた記憶が残る。貴島正道氏の回りには佐藤昇氏、松下圭一氏らの姿があった。江田氏の構造改革と成田氏の構造改革には若干の違いがる。
江田氏は自民党の三木・松村派という社会党からみれば右にウイングを広げた政界再編成を目指して、政権奪取を目論んだ。「江田ビジョン」を発表したが、具体的には①アメリカの平均した生活水準の高さ②ソ連の徹底した生活保障③イギリスの議会制民主主義④日本国憲法の平和主義・・・という国民には分かりやすく、新鮮な響きを持っている。
だが、社会党には戦前からの労農派が存在した。左派社会党の理論的支柱である社会主義協会の向坂逸郎氏や総評の太田薫氏から右傾化として厳しく批判され、左派が強い社会党内で「江田ビジョン」は否定されている。
日本の構造改革論は共産党内の理論闘争に敗れ、社会党内でも敗北する憂き目に遭っている。しかし、この流れは民主党の旧社会党グループに受け継がれ、今では「江田ビジョン」が形を変えて復活しようとしている。その内容はトリアッティの「戦う構造改革」とは、ほど遠いが、イタリアやフランスに根付いた社会民主主義に近いものがある。
逆に左派社会党の理論は、社会党の消滅によって力を失っている。民主党は自民党的なものと、社会民主主義的なものの混在した政党である。参議院で過半数を得ていない現在、社民党や共産党の影響を少なからず受けざるを得ない。
いわば過渡期にある政党といっていい。それが保守政党に回帰するのか、ある程度は社会民主主義的なものを残して発展するのかは、これからの課題といえる。江田氏はどういう想いで民主党の大勝利をみているのであろうか。
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