3925 尺とり虫は思い切り縮む 古沢襄

高校時代からの親友の堺司氏とは浅草の老舗寿司屋でよく飲んだ。東大法学部から昭和29年、通産省に入省、炭政課長になった。今では想像も出来ないが、日本のエネルギー政策が「炭主油従政策」をとっていた時代である。
政治部記者の私は日本のエネルギー政策よりも安全保障政策に関心があったので、生返事をしながら堺氏の話を聞いていた。岸内閣の頃である。だが、そのおかげで佐橋滋氏(国内派)や山下英明氏(国際派)の対立を知ることが出来た。
戦前の商工官僚だった岸信介、椎名悦三郎氏らは佐橋氏を高く評価していた。岸氏の実弟・佐藤栄作氏も佐橋側だろうと漠然と考えていた。
日本のエネルギー政策が「油主炭従政策」に転換したのは、池田内閣からであろう。山下氏ら国際派が通産省内で台頭した頃である。山下氏は1961年に佐藤通産相の秘書官になっている。第一次石油ショックの時には通産次官に就任した。
通産行政が油主炭従政策に転換して堺氏は国際派に連なる。だが私は岸氏らの影響もあって国内産業の保護政策を唱えた「ミスター通産省」佐橋氏に魅力を感じた。その気持ちは今も変わらない。
話は変わるが、小泉元首相の改革路線は山下氏ら国際派が推進した路線の延長線上にあると思っている。国際競争力のある産業を育成し、日本経済の発展を図る考え方である。その過程で衰退する産業には構造転換を求め、失業対策にはセイフテイ・ネットを張る。
佐橋氏なら国内産業の保護政策を唱え、ドラステイックな改革路線には抵抗したであろう。事実、小泉改革に対する批判は、ここにきて高まっている。民主党の産業政策は佐橋路線の延長線上にあるのではないか。
だが大きな流れをみると、国内派が正しく国際派が誤っていると即断はできない。時代背景があって、二つの路線が政権交代の様に繰り返しているのが真実ではないか。国内産業の保護政策だけにとどまると国際競争力を失う。さりとて国際競争力だけを重視し、偏ると国内産業が深刻な打撃を受ける。
堺氏は「日本の産業政策は尺とり虫の様なものだ。伸びれる時に目一杯伸び、縮む時には思い切り縮む」と言った。だとすれば、今は思い切り縮む時期なのかもしれない。その堺氏も今は亡い。
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