全国的にみて「古沢姓」は少ない。姓の由来は地名からくると言われている。ところが地名の古沢は案外、少ない。私の古沢は茨城県下妻市古沢に由来するが、もとはいえば赤松姓であった。ところが九州各地には地名に由来しない古沢姓が多くある。
最近、九州の方から次の様な情報を教えて頂いた。
<宮崎県の日南市飫肥にも古澤姓が多いです。ルーツはよくわからないですが、飫肥を見渡す山の一帯をご先祖様が持っていたと聞き及んでおります。大した情報ではありませんが、何かの足しになればと思い、送ったしだいであります。>
この方に送った私の返事。
<貴重な情報です。有り難うございました。古沢姓は地名に由来するものが多いのですが、九州の場合は大分(豊前国)のように関東から下った豊前守兼鎮守府将軍・古沢能直に連らなる一族が、長い歴史を経て、九州一円に広まったと解釈しております。
古沢姓だけでなく古庄姓も同族で大分に近い福岡、長崎にもあると聞いております。宮崎も大分の近県ですので、その流れではないでしょうか。
この古沢姓は厚木市古沢の地名に由来し、藤原秀郷を祖とする古沢近藤太能成(近藤太の”藤”は武家藤原氏の証拠、家系図も藤原秀郷を祖としている)の血をひく名門です。
ある意味では古沢姓の本流ともいえます。それが九州各地に残ったのは、不思議なことです。大分の古沢能直の子孫からは大友宗麟が出ています。キリシタン大名・大友宗麟の一族にも古沢姓が多いです。>
大友宗麟は豊前国で覇を唱えた。古沢姓ではないが、一族には古沢姓や古庄姓が多い。日南市飫肥にある古沢姓は、その一族の末裔ではないかと思っている。一度、日南市飫肥に訪れてみたいと思っている。
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3994 九州の日南市飫肥にある古沢姓 古沢襄

コメント
古沢様
大変ご丁寧なお返事を頂き,感謝申し上げます.
私の書き方が不十分であったため,おそらく,古沢様の誤解を招いてしまったも
のと思います.深くお詫び申し上げます.
私のお聞きしたかったことは,「多い」と「です」とをつなげて使って良いので
しょうか,という点にあります.~という人は多い,~は多く見られる,~は多
く存在する.などの表現はよく見られると思うのですが,「多いです」は,最近
の日本語ではしばしば用いるものの,本来は正しい表現ではないような印象を
持っております.いわゆる現代日本語の範疇のような気がするのです.
ただ,これは直感の問題であって,その理由を問われるときちんとお答えするこ
とが出来ません.古沢様は普段多くの文章を書いておられる方ですので,正当な
理由をお持ちではないかと思い,お聞きした次第です.
ちなみに,多いか少ないかということについては,古沢様よりいただいたご説明
に全く賛同いたします.敢えていえば,統計的検定でその裏付けをすることは可
能ですが,そこまで厳密な議論をする場ではないと思います.なお,私の貞広と
いう姓は全国でも大変少なく,一度,電話帳から調べて県別斧分布図を作成した
ことがあります.全国で365世帯,中国,四国に多く,次いで北海道でした.中
国四国地方の,比較的貧しい山間地からの開拓移民であったと思われます.
「多い」と「です」とをつなげて使って良いのでしょうか・・・という指摘は正鵠を射ております。
「多い」は一応の根拠がありますが、根拠を示さずに「です」で繋げると断定調になります。読者に私の断定を押しつけることになるだけでなく、違和感を持つ読者もあるかと思います。
もの書きの私は、深く考えもせずに書き飛ばしておりますが、「本来の日本語の正しい表現でない印象」という指摘には参りました。
かなり高度な指摘です。一万人の読者を得たので、これからは日本語の使い方に気を配りましょう。これからも気がついた折りに厳密なご指摘を宜しくお願いします。
古沢様
私は文筆業に携わっているわけではありませんので,厳密かどうか,全く自信を持っておりません.国語の専門家の判断を仰ぎたいところです.実際,このよう
なメールの文章も,正しいかどうかは甚だ怪しい限りです.
これは大変奇妙なことなのですが,研究者という職業柄,英語で文章を書く機会が多くなってきており,そのため却って日本語のことを意識するようになりまし
た.
自分で書いた英語の論文を日本語に直すとき,正しい日本語を見つけるのに大変苦労致します.却って,最初から日本語で別の文章を書き起こした方が早いほどです.
ノーベル賞に近いといわれている経済学者の藤田昌久先生は,英語での発表は大変上手なのですが,日本語でのそれは意味を理解することが難しいことがしばしばです.ご自身で英語の本を書かれた後,その日本語版を出すときに,別の方がわざわざ日本語訳を書いておられます.
言語と文化の問題は,多くの議論がこれまで続けられています.英語の早期教育,エスペラント,ケルト語やヘブライ語の挑戦,EUの公用語問題など,様々な
場面を通じて考える機会も多い問題です.文化の根幹の一つですので,自分でもさらに考えていきたいと思います.