胡錦涛、土壇場のうっちゃり。習近平の軍事委入りを阻止。新彊ウィグル暴動の対応不手際を糾弾か? 王楽泉留任と引き替え?
第十七期四中総会で確実視された習近平の軍事委員会副主席入りは実現しなかった。多くの華字紙の予測もはずれた。
習近平は新彊ウィグル暴動の折、イタリアのG20に出発した胡錦涛の留守居役の責任者だった。
ところが適切な指示が出来ず、直後の政治局会議で糾弾された。評判の悪い王楽泉(新彊ウィグル自治区書記)が、血の弾圧を主張し、公安法規関係の周永康と孟建柱が事態の収拾に動き、同時に胡錦涛は部下の李克強のスキャンダル露呈を防いだ。
奥の院の権力闘争は、こうしたバランスの上に成り立っており、香港誌『開放』九月号は、習近平が一時辞表を提出した動きがあったことを伝えている。
ともかく習近平が軍事委入り出来なかったのだ。これから、北京は荒れる。
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(読者の声)貴誌前号に速報のあった習近平の軍事委員会副主席就任確定(その後、確定せずのニュース)。
ともかく中国情勢にうといものとしては習近平氏はどういう人物で、いかなる略歴で、その政治能力は? と首を傾げるばかり。
「ウィキペディア」にある習近平の解説はつぎの通りです。まず引用しますと、
「父・習仲勲が批判された文化大革命で反動学生とされ、1969年から7年間陝西省延川県に下放。1974年に共産党入党、下放された同地で生産大隊の党支部書記を務めている。
1975年に清華大学化学工程部入学。1979年の卒業後は国務院弁公庁で当時副総理の秘書を務めた。アモイ副市長、福州市党委書記から、2000年福建省長。2002年11月、張徳江に代わり49歳で浙江省委書記就任。2007年3月24日、陳良宇の代理を務めていた韓正に代わって上海市党委書記就任。
中央組織部長の賀国強が上海市党政幹部大会で発表した。これにより第17期の政治局入りは確実とみられたが、一気に政治局常務委員にまで昇格するという「二階級特進」を果たし、更に中央書記処常務書記に任命された。上海市書記は兪正声が引き継いだ。
胡錦濤直系である共青団の李克強より常務委員の序列が上であること、また胡錦濤自身も党総書記就任までの2期10年を中央書記処書記として経験を積んだことを考えると、ポスト胡錦濤に一番近い存在といえる。また、常務委員で唯一軍歴がある(中央軍事委員会弁公庁秘書)。2008年3月15日、第11期全人代第1回会議で国家副主席に選出された。
妻は、中国の有名な軍隊歌手(国家一級演員)彭麗媛(中国人民解放軍総政治部所属・少将)である。娘(習明沢)ひとり」。この人がなるんですかね。本当に。(YA生、水戸)
(宮崎正弘のコメント)履歴に関してはほぼ正しいでしょうが、ウィクペディアの解説には背後の人脈解説がありませんね。
習をすくいあげたのは曾慶紅です。曾は第十七回党大会で、みずからの引退と引き替えに習を浙江省書記から、まず上海書記に「栄転」させ、すぐに中央へ引っ張り上げた。
中国の権力状況はと言えば、上海派 vs 団派の対立が凄まじく、太子党がどちらにつくか、太子党を引っ張り込めば、多数派となります。団派は共産主義の理想とか、社会主義とか頭のかたいことを言うので党内長老や左派に好感をもたれ、太子党はどちらかと言えば利権が好きですから上海派と組む。
重慶市書記から広東省書記になった王洋と、重慶市書記の薄!)来が、習近平のライバル。 これまで団派の代表的存在だった李克強は、このままでは次期首相の座も危ないかもしれない。
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