4009 小澤幹事長の健康状態 渡部亮次郎

民主党の小澤幹事長の健康状態は、余りよくなく、総選挙後、できるだけ速い機会にロンドンで心臓の「手入れ」をしなければならない、と選挙中から、さる筋から流れていた。
その結果、9月19日になって「20日から25日までのロンドン訪問」が伝えられたが、労働党や保守党の関係者、政府の幹部との会談を予定し、英国の政治献金や選挙制度にあり方、国会運営などを調査するという触れ込みである。
以前はロンドンへ「手入れ」に行く時はアメリカへ出張し、そこから隠れてロンドンへ渡っていた小澤だが、今回からは立場が重要になったから、報道陣から隠れる事はほぼ不可能と見て、発表したもののようである。
小澤の健康状態は厳重秘密にされ、小澤番の記者は勿論、秘書たちも触れたがらない。秘密のヴェールに包まれているわけだが、艶の無い肌、ふやけたような顔の浮腫み、昼食後義務付けられている午睡などから専門家は、心臓以外にも悪いところがあると判断する。
多分、今回、ロンドンでは大きな手術は短期間だから不能。おそらく太ももの付け根の動脈から器具を使って、心臓内のある種の器具を交換するのではないか、と言っている。
考えてみれば、私の政治記者生活は、1964年秋の東京オリムピックの最中、総理大臣池田勇人が喉頭癌に倒れながら、側近たちが、真実を本人に秘匿すべく、国民に「前癌症状」などといい逃れた真相を暴くため、オリムピックそっちのけで医師団の取材に日夜かけめぐったことから始まった。過労で歯が何本も抜けた。
だから、この取材で、癌についてはかなり勉強した。しかも直後、担当していた前の東京オリムピック担当大臣河野一郎が腹部大動脈瘤破裂で急死。その後、実弟の謙三も同じ病気にかかりながら医学の進歩に救われるという取材もした。
さらに下って1980年6月、時の首相大平正芳が心筋梗塞で倒れた時は、かつて秘書官として仕えた園田直がやはり糖尿病で心筋梗塞を恐れていたので、大平も間もなく死亡する事が分かっていた。果たして12日早朝に死亡。
園田はすぐ目白台の田中角栄を訪問、後継者を鈴木善幸に決定。情報と知識の勝負に勝った。園田は鈴木内閣で厚生大臣と3度目の外務大臣を務めた。
大平の糖尿病は秘匿されていたが、主治医の兄弟が外交官。その人物から事実が漏れていた。「実に医者の注意をきかない悪い患者」。と言う事は合併症が進行している。長い事は無い。マスコミには伝えなかった。
田中角栄は自らバセドウ病であることを喧伝していたが、重い糖尿病である事は秘匿した。竹下派が分派して田中を興奮させれば、やがて脳梗塞を起こす事を知って実行したのなら、これは殺人事件なのである。
こうしたことを振り返れば、現職の政治記者は、政治情報と共に、かなり高度な医学知識を持っていなければならないことが納得できるだろう。
大野伴睦の死は、結果的には、宿敵佐藤栄作を政権に押し上げたし、やはり副総裁だった川島正次郎の死は田中角栄政権の短命化に繋がった。こうした事を考えると、小澤の渡英は扱いは小さいにしても、政治記者としては胸に深く記すべき課題であるはずだ。(文中敬称略)
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