<始動>の語感はなかなかいい。歴代自民党政権の発足時、この表現はなかった気がする。だが、始動に伴う危うさも随所にある。
鳩山新政権の看板政策である<子ども手当>論争を聞きながら、考え込むことが多い。子育て政策について、民主党は深い論議をしてきたのか。
連立を組む社民党党首の福島瑞穂少子化担当相はテレビ画面でにこやかに、「新政権は子どもにお金を使います」と約束してみせた。お金を投じることが子育ての最優先課題のように聞こえるが、そんなに単純なことだろうか。少子化問題はお金で片づく話だろうか。
そうではない、と反論がありそうだ。しかし、<子ども手当>政策の底に流れる思想は、まずお金、である。
<家貧しくして孝子顕(あらわ)る>
という古い諺(ことわざ)をいま口にする人はいない。現代社会とは無縁のことかもしれない。だが、子育てを考える時、時代を超えて教訓的だ。
家が貧乏だと、子どもも家のために働く。その善行が孝行な子として人に知られる。逆境のなかからこそ立派な人物が現れる、といった意味だ。
それだけではない。親も、子どもが貧しさに耐え一人前に育つように、せめて教育だけは身につけさせたいと懸命になる。私たちの世代はそんな雰囲気だった。
貧乏の奨励などではもちろんない。だが、この諺は、子育てがお金第一ではないことを教えている。
さて、<子ども手当>は批判もあるが、人気が高い。中学卒業までの15年間、1人月額2・6万円、年額31・2万円、15年トータルで468万円、2人っ子だと936万円、大きな額である。若い両親には朗報だ。
しかし、民主党が主張する一律支給は賛成できない。社民、国民新両党が所得制限を求めたのは当然で(社民は方針を変えたらしいが)、バラマキは下策である。
<家豊かにして>のところ、つまり子育てできる経済的余裕がある家庭にまで支給する理由を聞きたい。所得制限すれば上限額によるが、年間財源5・3兆円のうち兆単位で減額できる。それを一律で押し通すのは新たな無駄遣いではないか。
今春、民主党が麻生政権の定額給付金に強く反対した理由の一つは、高額所得者にも支給する一律バラマキの愚策にあった。それをこんどは民主党がやろうとしている。藤井裕久財務相は、「豊かな家庭とか、貧しい家庭とかは何の関係もない。子どもは社会からの預かりものという前提に立っている。
民主党のマニフェスト(政権公約)には『所得制限なし』と書いてある。マニフェストは断固守るということだ」
と言うが、マニフェスト至上主義は危うい。公約を貫く構えは貴重だが、批判封じになりかねない。
防衛費(09年度当初予算で4・8兆円)を上回る巨費を、現金支給することが、子育てにどんな形で役立つのかも不安である。何となく消費されてしまう恐れはないか。
民主党幹部の一人は、「子ども手当も高速道路無料化も、このままでは危険だ。子育てで参考にしたフランスの政策には、手当だけでなく、総合的な支援戦略があった。だから出生率がアップしたのだ。日本には戦略がない」と明かした。
選挙用のバラマキ型マニフェストにこだわりすぎると、民主党は墓穴を掘る。肉付けし、現実的に練り直すのは期待を裏切ることにならない。言わずもがなのことだが、要は党益でなく国民益だ。(敬称略)
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