私は、このあまりパッとせぬ地位を約一年ばかりつづけた。しかしこのピリッコ組に長くいたおかげで、最もよくできる生徒よりずっと利益を得たことがある。彼らはラテン(語)とかギリシア(語)とか、その他えらいことを学んだが、私は英語(国語)を教えられた。劣等で英語(国語)のほかに覚えられぬと考えられたからだ。 ー「わが半生」 Wチャーチル 英首相 *(括弧)は桃注
鳩山総理の国連演説を見て、我国の総理もここまで英語が話せるようになったかと感無量です。これも戦後教育のお陰でしょう。
小泉元総理の対米姿勢を見て、占領軍に擦り寄る日本人を連想しました。鳩山総理の場合は、まさに米国による日本人洗脳教育の完成をみる様な気持ちがします。英語が日本語(国語)に勝った日でありました。
■占領下の日々
まぁ、面白いのは、占領下日本人が従順だったのは、徳川将軍がマッカーサー将軍に変わった位にしか思っていなかったからだろう、と指摘している人がいる事です。それはニクソン元米国大統領でした。
そう言えばその様にも思えます。天皇陛下は相変わらず御健在でした。たとえ「人間宣言」を出されても、国民はその前からそんな事は知っておりました。そんじょそこら(其処)の土人とは訳が違うというところでしょう。
■田中清玄の転向
ー獄中で共産主義を捨て、天皇主義へと変わるわけですが、何があったのでしょうか。
田中: スターリンに対する批判を通じて、 最後はマルクス主義、共産主義との訣別に進んでいくのですが、その過程で私自身が考えたのは、結局のところ、マルクス主義が西洋合理主義の申し子であり、その西洋合理主義は一神論のキリスト教とギリシャ文明を母胎にした混合造形であるということでした。
ーどういうことですか。
田中: 一人の日本人としての私に、共産主義、マルクス主義を受けつけさせないものは、つまるところ、私が日本民族の一人であり、日本民族のまさに中核には、天皇制があるということです。
ニーチェにも、ゲーテにも、カントにも、マルクスにも満足できないのは、この世のあらゆる物は神であり、そのようにして自然界は存在しているという、汎神論の世界に自分は生きているからだということです。
幕末に朱子学と水戸学派によって著しくねじ曲げられた、天皇だけが神であるというような狭隘(きょうあい)な神道もまた、満足できるものでなかったことは、言うまでもありません。
いわんやナチズムなどは論外でした。ずっと後になってからのことですが、毛沢東を絶対視した中国の文化大革命などは、私にとっては、まったく気違いのたわごとに過ぎませんでした。
八百万(やおよろず)の神といいますね。この世に存在するあらゆるものが神だという信仰ですが、この信仰が自分の血肉の中にまで入り込んでいて、引きはがすことはできないと。
そうしてその祭主が皇室であり、わが民族の社会形成と国家形成の根底をなしているということに、私は獄中において思い至ったのです。考えて考えて、考え抜いたあげくの結論でした。(「田中清玄自伝」ちくま文庫 3008)
■売国と売心
鳩山総理を見ていると日本が無いようです。心に秘めている思いがあるのかも知れません。しかし、あれが本当なのかと心配もします。反撃の準備は怠らないように心掛けましょう。
お勧めサイト
・杜父魚(かじか)文庫ブログ
「渡来人の末裔・谷氏族 古沢襄」
http://blog.kajika.net/?eid=992255
・「皇太子殿下、海上自衛隊を閲兵」
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・「国民自重の心」小泉信三
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