韓国の朝鮮日報は、北朝鮮が朴正煕元大統領らを「左派」と判断していたとする中国の外交文書を明らかにしている。1961年5月16日、朴正煕陸軍少将は軍事クーデターを起し、国家再建最高会議議長に就任している。その時に北朝鮮の金日成主席は、これを支持する声明を準備したという。
朴正煕氏は1942年満州国軍軍官学校予科を首席卒業、そのまま日本の陸軍士官学校に57期に編入している。陸軍士官学校を三番で卒業。満州国軍歩兵第8師団に配属、そこで終戦を迎えた。1946年に韓国の国防警備隊士官学校入学、三ヶ月で卒業して国防警備隊大尉に任官している。
1948年に麗水(ヨス)反乱事件が発生して、朴正煕氏は粛軍運動の首謀者として逮捕された。「二つのコリア」の著者であるドン・オーバードファー氏は、彼が韓国陸軍士官学校の共産党細胞の指導者で、共産主義者の指導下にある軍隊が命令に服さず、一時、「人民共和国」を宣言したと述べている。
金日成主席は麗水反乱事件における朴正煕氏の役割から「左派」と判断したのであろう。
朴正煕氏は軍事法廷で死刑判決を受けたが、李承晩(イスンマン)大統領によって減刑(執行免除の無期懲役、軍籍剥奪)された。この裏には李承晩大統領の米軍事顧問だったジェームズ・ハウスマンの勧告があったとドン・オーバードファー氏は米大使館の公電など未公開資料から判断した。
ハウスマンは朴正煕氏が優秀な軍人と評価し、建軍間もない韓国軍にとって必要な人材とみたのであろう。朴正煕氏も転向して陸軍司令部の情報将校として復活している。
この麗水反乱事件は、5・16軍事クーデターに際して、金日成氏をして「左派・朴正煕」の記憶を呼び起こしたが、米国も「元共産党細胞・朴正煕」で懸念を持った。ハウスマンはワシントンに飛び、高官たちに過去の事件にもかかわらず、彼は共産主義者ではないと説いて回った。在韓米大使館も国務省に対して、朴正煕氏は共産主義者でないという公電を打っている。
中国の外交文書の公開は、麗水反乱事件を知る者にとって、よけいに興味あるニュースとなった。
<北朝鮮の金日成(キム・イルソン)主席(1994年死去)が、1961年の朴正煕(パク・チョンヒ)少将(後の大統領)らによる5・16軍事クーデターを予測し、これを支持する声明を準備していたが撤回した、という内容が記された中国の外交文書が15日、公開された。
韓国の北朝鮮大学院大学と、冷戦当時の北朝鮮関連の資料を共同で分析しているウッドロー・ウィルソン・センターは、クーデター当日の夜に金一(キム・イル)副首相(当時)が、平壌駐在の中国大使と急きょ面談したことなどが記録された61年の中国外務省文書を発見した、と発表した。
この文書によると、金主席は金一副首相を通じ、韓国の5・16軍事クーデターの支持声明を準備していることを、中国に対し事前に通知した。北朝鮮は当時、5・16軍事クーデターに加わった軍人のほとんどが進歩的な性向で、米国と関連がない独自の反乱だと考えていた。
特に、5・16軍事クーデターを主導した朴正煕少将については一時、南朝鮮労働党事件に関与し、その実兄の朴相熙(パク・サンヒ)氏も社会主義革命の活動中に死亡したことを、中国側に強調している。今回発見された中国の外交文書は、ほかにも北朝鮮が当時、韓国軍内の一部進歩勢力が反乱を図るという情報を事前に入手していたことが記録されている。
しかし、北朝鮮のこうした判断は、5・16軍事クーデターの主導勢力が「反共」を掲げたことで、180度修正された。中国政府が当時入手した北朝鮮労働党中央常任委員会の61年5月18日議事録は、5・16軍事クーデターを米国がそそのかした反動クーデターと規定している。この文書によると、北朝鮮はこの会議で、韓国の5・16軍事クーデターに対処するため、経済中心の政策ではなく国防力の強化に重点を置くことを決めたとのことだ。(朝鮮日報)>
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4149 金日成が朴正煕を一時支持 古沢襄

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