考えてみれば、このブログで自民党指導部をテーマにするのは実に久しぶりです。それほど昨今の自民党は当方の関心を呼び起こさなかったわけです。
自民党の谷垣総裁が大胆な発言をしました。その発言について考えてみましょう。谷垣発言自体は以下のとおりです。
自民党の谷垣禎一総裁は26日、鳩山首相の所信表明演説の際、衆院本会議場の民主党新人議員らが演説の節目節目で、一斉に拍手とともに「そうだ!」などと歓声をあげたことについて、「ヒトラー・ユーゲント(ナチス党の青少年組織)がヒトラーの演説に賛成しているような印象を受けた」と皮肉った。国会内で記者団に語った。
大島理森幹事長も同日の記者会見で、「平成17年の郵政選挙後、小泉純一郎首相(当時)に若い自民党議員が拍手していたが、それ以上だった」と語った。
自民党は昨年8月、麻生太郎幹事長(当時)が勢力を増す民主党をナチス台頭になぞらえ、その後、釈明した経緯がある
谷垣さん、珍しく、バシッとした発言ですね。これからは戦う野党なのだから、このぐらいは言わなければ。民主主義国家の政権党の議員をヒトラーに熱狂したドイツの若者たちにたとえるのは、失礼かもしれません。不適切かもしれません。でもヒトラーも民主的な選挙で出てきた指導者でした。
国会のその場にいて、小沢チルドレンたちの熱狂に、ついヒトラー・ユーゲントを連想してしまったなら、それは仕方ないでしょう。
ここで注釈ですが、私自身は小沢チルドレンという言葉は使ってきませんでした。小泉チルドレンも同様、選挙に立候補する人を「刺客」だなんて評することも、、作為的に過ぎると思っていました。
しかし朝日新聞などは小沢チルドレンという言葉をさんざん使っていて、肝心の小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏に一喝されると、すぐ次の日からその表現を使うのを止めてしまった。小泉チルドレンは使ってもいいみたいです。これでよくいっての二重基準、もうちょっと悪くいえば、年来の偏向が露骨になりました。
私があえてここで「小沢チルドレン」という用語を使うのは半分以上、その用語を使わなくなったメディアへの当てつけです。
まあ余談はともかく、二重基準といえば、実は反自民党勢力も小泉政権時代の自民党の総裁かつ首相をヒトラーやナチスになぞらえようとしていた記録があります。民主的に選ばれた日本国の首相をユダヤ民族を大虐殺したヒトラーに重ねあわせていたわけです。しかも手のこんだ巧妙な方法で、でした。
具体的にいえば、朝日新聞です。私は自書でその実例を紹介しました。この本は2003年6月に恒文社21から出版されました。この書の第六章「チョムスキーの正体」というなかに以下のことを書きました。時は小泉政権時代です。
<(他者への攻撃のための)「ゆがめ」にはアナロジー(類似)という手段もある。ある特定の人物の批判のために、その人物を悪の権化のような他の人物と類似していると断じ、並列において、一体化を図る、という方法である。連想させる方法といってもよい。どんな人物でもヒトラーとの類似を述べられたら、悪いイメージが生まれるに決まっている。
朝日新聞の2001年12月11日朝刊にコラムニスト・早野透氏が書く記事が載った。そのタイトルは「ファシズムか『小泉酔い』か」だった。
この「ファシズムか」という言葉自体が仰々しい。そんな言葉を小泉首相の名の直前におくこと自体が悪意な作為である。
早野氏は次のように書いていた。
「小泉さんはファッショなのかどうか。ファシズムといえばドイツのヒトラーだけど、それと比べるのはさすがに大げさだ。そこでチャップリンが映画『独裁者』でヒトラーを模したヒンケルと小泉さんと比べると、これがよく似ているので驚く。ヒンケルの演説は絶叫である。小泉さんの演説も絶叫でやんやの喝采を浴びる。ヒンケルはユダヤ人を敵に仕立てる。小泉さんは『私に反対するのは抵抗勢力』と明言している。ヒンケルはヒンケル・ボタン、小泉さんは小泉グッズを売り出す」>
以上が朝日新聞のコラムの私なりの分析でした。6年前のことです。
なんのことはない、このコラムは小泉純一郎をヒトラーに模しているのです。ただ巧妙にその二人の人物の間に映画を挿入し、映画のなかのヒトラーと小泉が同じようだ、と書いているのです。
こんな実例からくらべると、谷垣さんの発言は素直で温和ですね。でももうちょっと辛辣で過激で大胆になってもいいでしょう。そして巧妙さは上記の朝日新聞のコラムをヒントにしていただいてもいいですね。
なにしろ、日本のための戦いが始まっているのですから。
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4247 小沢チルドレンとヒトラー・ユーゲント 古森義久

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