4278 空母「定遠」「鎮遠」 山堂コラム

清国が軍艦「定遠」と「鎮遠」を品川に寄港させたのは明治24(1891)年7月である。
この年わが国では、来日した露西亜のニコライ皇太子(のちの皇帝)が滋賀県で警備の警官に斬りつけられて重症を負う「大津事件」が起きたばかり。露西亜の脅威に朝野をあげて焦燥している日本の足もとを見透かしたようなこの2隻の寄港―――親善訪問とは言いながら、これは恫喝以外の何物でもなかった。
「定遠」と「鎮遠」は清国が独逸から購入した7300トンの、当時としては最新鋭の軍艦。日本海軍の最大艦「高千穂」が3700トンであったからその2倍。うち「定遠」は清国北洋艦隊司令長官・丁女昌の旗艦である。
丁女昌・清国艦隊の末裔である現在の共産中国海軍。いま進めようとしているのは「空母(航空母艦)」の建造である。「中国には空母を建造・維持していく国力はない」などと、ノー天気というか楽観視する向きもある。
しかし現実には旧ソ連の空母「ワリヤーグ」や豪州の「メルボルン」(英国の旧・マジェスティック空母)などの廃艦を購入。これを解体、徹底的に研究。また空母搭載航空機乗員も養成している。
空母の建造を本気で目指していることは間違いない。「当面は2隻。建造した暁には1隻は太平洋。1隻は印度洋に配備するだろう」との専門家の警告もある。何はともあれチャンが闇雲に海軍力増強に血道をあげているのは事実なのだ。
話を戻して明治24年。来港した「定遠」「鎮遠」に明治政府は驚愕した。何が何でも日本も、この清国艦隊に対抗できる軍艦の建造を急がねばならない。
前年に開設されたばかりの帝国議会・衆議院(星享議長)はこれに反対した。その反対・内閣弾劾上奏決議をも強引に押し切って、伊藤明治政府はのちの1万トン級「富士」「八島」などの建造計画を進めたのである。
こうした備えなくして3年後の清国相手の「黄海会戦」、14年後の露西亜バルチック艦隊との「日本海会戦」。皇国の興廃どころか、干戈を交えることすら叶わなかったろう。
戦争は軍事力の均衡が崩れることによって勃発する。いまや中国ばかりか、北朝鮮まで核兵器・ミサイルを保有増強する日々。憲法によって限定兵力しか保有しないわが国は、米国の軍事力でこれに対抗しミリタリーバランスを保っている。
そんな自明の理をここで説明するまでもないのだが、今回発足した民主党政府はどうやらそれがよく分かっていないらしい。だから言うのだ。
小鳩は「東アジア共同体」などと戦前の「大東亜共栄圏」にも劣る寝言みたいなことを言っておる。しかし今のような丸腰に近い現状で、「後ろ盾」たる軍事同盟国を疎かにして、米が本気で怒って楯を引いたらどうするのかよ―――
先の大戦で連合軍にコテンパンにやられるまでは、「日露戦争に勝ったのは日本が神の国だったから」などと教え込まれてきた。そうした夜郎自大の史観者や新聞に、軍や政治家までも騙されて「日露戦争は乃木希典や東郷平八郎で勝った」と・・・
冗談ではない。個々の戦闘を言う前に「日英同盟」や「米国の和平仲介」があったから「漸く負けることを回避出来た」というのが厳しい史実。それを忘れた昭和軍閥の阿呆らしさ。昨日生まれた豚の子だ。弾に当たって名誉の戦死よ。
外交というか、国と国との関係は常に相手の国の是あること。米軍の核の傘も基地も不要だというのであれば、チャンの空母「定遠」「鎮遠」が出現する前に、まずは宇宙戦艦ヤマトの建造を「おしとおる」らが反対しても急がねばナランチャ。
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