4279 インフルワクチン導入の意義 木村盛世

「人間は真実を見なければならない。なぜなら真実は人間を見ているからだ」(ウィンストン・チャーチル)
巷では新型インフルエンザワクチンに関する議論が真っ盛りである。インフルエンザは入ったからには必ず広まる。100%有効な予防法はないし、特効薬もない。
その中でやるべきことは既存の方法を組み合わせて、広がりの程度をできるだけ小さくすることである。それ故ワクチンも有用なツールの一つとして挙げられる。
ワクチンの効果はどの程度なのか、副反応はどうなのか、そして1回うちが良いか、2回にすべきかといった議論が新聞の紙面をにぎわすと、国民のワクチンに対する期待と不安もおのずと高まってくる。
そしていつの間にか「新型インフルエンザワクチンを打つと罹らない」とか「ワクチンで重症化が防げる」といった世論が形成されてしまった。そこで本稿では、ワクチンの効果はどのようにして判定するのか、なぜワクチンが必要なのかということについて論じてみたい。
豚由来のAH1N1インフルエンザウイルスは流行を初めてまだ間もない。このウイルスについて人類はどれだけのことを知っているのだろうか。人為的に蒔かれたものではなく、自然発生的なウイルスであること、今のところ病原性は通常のインフルエンザと大差ないこと、若年層が罹りやすい、くらいのものである。ワクチンの効果にしても本当のところは誰も知らないのである。
それでは、ワクチンの効果とはどうやって判定するのであろうか。ワクチンの有効性についての議論は近代疫学の歴史とともにあるといってよいだろう。
疫学とは「因果関係のあるなしを調べる」学問であるが、「ワクチンの導入により、病気の発生が少なくなった」ことを立証することが近代疫学モデルの代表といってもよいのではないだろうか。
公衆衛生とは、個々人の健康問題に焦点をあてるのではなく、国民ぜんたいあるいは地球上の人間に視点を当てることを第一義とするが、疫学は公衆衛生を論じるのになくてはならない学問である。
なぜならば、公衆衛生とは厚生行政そのものであり、厚生行政の運営に際して科学的根拠を与えるのが疫学研究だからである。それ故、疫学とは人間の大集団を研究対象とする。
ワクチンの評価モデルとして確立されたのは結核ワクチンについての研究だった。結核はエジプトのミイラからも発見されている、人類と一番付き合いの長い感染症である。
近代疫学は19世紀から20世紀にかけて花開いたが、世界のトップをゆくハーバード大学、ジョンズ・ホプキンズ大学に公衆衛生大学院はこの時期に設立された。
公衆衛生大学院は結核対策の証拠を政府に提供するためにつくられたのである。当時、結核はアメリカ合衆国はじめとする先進国にも大きな脅威であったので、これを抑えるのは国家の存亡にとっての重大事であった。
結核対策の星として期待されたのは結核ワクチン(BCG)であった。BCGに関しては既にいくつかの論文が出されていたが、国策としてBCGワクチンを導入するかについては、大集団を用いた大掛かりな調査研究が必要だと判断された。
これを受けてUSPHS(United States Public Health Service)は、各地でBCGの有効性についての大規模前向き研究を開始した。ワクチンを打つ群と打たない群に分けて経過を観察し、どちらの群からの結核発生が多いかを比較したのである。
アメリカだけでなく英国、北欧、アジアの諸国とも合同した研究が開始され、20年にわたるフォローアップを終えてBCGワクチンの効果が判定された。この結果ワクチンの効果は-20%から100%と開きがあり、「効果については不確定」との結論が出された。
このような研究(RCT)から得られる効果をefficacyと呼ぶが、現場で使う場合の効果(effectiveness)はefficacyより低くなる。このためefficacy平均90%以上が有効なワクチンとされるのが通例である。
この結果を受けて、アメリカ合衆国や主要先進国はBCG集団接種を導入することを止めた。それでは、この研究結果は実際の対策にどのように反映されているだろうか。日本は「結核中進国」と位置付けられている。
アメリカなどの主要先進国と比べると新規発生患者率と比べると10倍以上多い。わが国でのBCG接種率は100%である。この事実からみて、疫学調査を基に得られたワクチンの有効性に基づいて政策を行う国とそうでない国との差異は明らかである。
ワクチンの有効性は、BCGワクチンで行われた前向き調査によってのみ判定可能である。抗体価の上昇がワクチンの有効性を示すかのような報道や政府見解が示されているが、抗体価との因果関係における疫学的確証はない。
もしその関係を立証したいのであれば、ワクチンを打つ群と打たない群とに分け、前向きに追ってゆくとともに抗体価を調べる以外にはない。
しかし、インフルエンザには他のタイプのウイルスとの混合感染があり、結果の解釈が難しいと共に、現状でワクチンを打たないという選択肢が社会的に認められるかという大きなハードルがある。
同様の方法で行われているHIV/AIDSワクチンの研究が行われているが、インフルエンザとは状況が違う。抗体価とワクチンの有効性についての仮説が独り歩きしているのは、BCGワクチンの有効性とツ反の大きさが無関係ではあるのにもかかわらず「ツ反で陽転したら結核に罹らない」という間違った考えが独り歩きしている現象と同じである。
「ツ反で硬結の大きい人からは結核発病が多い」という事実と混同されているのではないかと思う。
新型インフルエンザワクチンの有効性について確実にいえることは、100パーセントの効果を求めることは難しいということだ。100%近いefficacyを持つワクチンはそれだけで疾患を根絶する。
天然痘ワクチンがその例だ。天然痘はワクチンのみで全世界から根絶された。しかし、インフルエンザがワクチンで根絶されたという話はきかない。
仮に有効なワクチンが生産されたとしても、インフルエンザウイルスは変異しやすい。この事実もワクチンの現実世界での有効性(effectiveness)を低下させる大きな要因であろう。
重症化を抑えるという議論もあるが、これについても前向きにみて行かないと結論の出しようがない。また重症化の基準についてもケースバイケースであろうし、もともと基礎疾患を抱えている人たちであるから他の薬をワクチンと同時に使用することは多いであろう。この場合純粋にワクチンのみの効果を検証することは極めて難しい。
今まで述べてきた状況下で、ワクチンはどうしても必要なのだろうか。筆者は、ワクチンの有効性の議論は度外視しても全国民分用意することが必要だと考える。
それは2つの理由からだ。第1に、現状のような新型インフルエンザパニック状態では国民に安心を与えるという意義は大きいということである。
もし仮に用意したワクチンが無駄になったとしても、国民のパニックを防ぐことは危機管理の初歩である。第2に、今回のワクチン全国民導入を機会に、諸外国から大きく立ち遅れている我が国のワクチン行政を進歩させる目的がある。
どんなワクチンにも副反応が伴うが、国民全体を病気から守るという国益がリスクを上回った時に導入するのがワクチンである。それ故、ワクチンは公衆衛生学的手法である。
現制度化では、重篤な副反応が起こった際にも訴訟という集団でしか解決の方法がない。しかしワクチンの基本理念からすれば、副反応が生じたからと言って国や製薬会社が訴えられること自体がおかしい。
そうであればアメリカに倣って免責制度を導入することが国にとっても国民にとっても泥沼の争いを避けることになるだろう。また、現状では雀の涙程度しか補償されない保険制度も抜本的な改革が必要である。
最後に、具体的な導入の仕方であるが、1回では不安が強いという国民感情に鑑みれば原則2回うちとすべきであろう。ワクチン接種するかしないかは国民の判断に任せるべきであるが、副反応など、意思決定のための正しい情報はきちんと開示すべきである。また、国民を守るという公衆衛生の根本から考えれば、ワクチン接種は原則無料化が筋だと考える。
木村盛世(きむら もりよ・厚生労働省医系技官)=筑波大を卒業した後、米ジョンズ・ホプキンズ大学公衆衛生大学院に留学。優れた研究者に送られるデルタオメガスカラーシップを受賞している。帰国後厚労省に入省、現役の防疫官でありながら、現在の厚労省の医療、特に新型インフルエンザ関連の公衆衛生行政に対して国会で参考人として証言をしたほかマスコミでも発言している。著作に「厚生労働省崩壊」(講談社)。
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