4305 瓦解する日本医師会 石岡荘十

新政権が、長年の自民党の強力な支持団体、金づるでもあった日本医師会の首を真綿のようにふんわりと締め上げている。
<日本医師会(日医)の政治団体である日本医師連盟(日医連)は10月20日開かれた執行委員会で先の衆議院議員選挙を総括し、連盟の活動方針にある「支持政党は政権与党である自民党とする」を白紙撤回することを決めた>(以下、m3.com:医師限定メールマガジン)。
この席で「白紙撤回」した理由について、常任執行委員の内田健夫氏は、自民党が「政権与党」でなくなり、現実に合わなくなったと述べたが、そうかといって、民主党支持に一気に乗り替えるところまでの踏ん切りはつかず、来年夏の参議院議員選挙では、自民党の西島英利氏の推薦を継続することを確認した。
ただ他の政党の支持を受けた立候補者でも、意見を聞き、日医連として推薦するとしている。満場一致ではなかったが、唐沢祥人委員長(日本医師会会長)の総括として、認めてもらった。わけが分からん。明らかに、自己矛盾を起こしている。執行委員会には150人が出席していたが、どうしたらいいのか分からなくなっているのだ。
その兆しは、選挙前にすでに現れていた。茨城県医師会をはじめとする地方組織が、民主党支持を打ち出していた。そして執行委員会に先立つ19日、茨城県医師会長の原中勝征氏が、再選を目指す唐沢医師会長に対抗して来年4月の日医会長選会長選挙へ出馬すると表明。内部分裂がはっきりしてきた。
茨城県医師連盟委員長の立場で執行委員会に参加した原中勝征氏は記者会見で「初めからほぼ予想された結論だった。議論もほぼいつもと同じ。執行委員会の結論は、果たして一般の意見を代表しているのか」と疑問を投げかけた。
そうこうしているうちに、日医城の外堀を埋める動きがつぎつぎと明らかになってきた。まず、中央社会保険医療審議会(中医協)の審議会委員の人事だ。
中医協は診療側7人、支払い側7人、公益側委員6人の計20人で構成され、診療報酬、医療費、医療制度など重要な案件の審議機関だが、これまでは、厚労省の医系技官が書いた原案をそのままそっくり承認する、官僚の隠れ蓑に過ぎない、自民党を支援する日医が開業医に有利な形で影響力を行使している、という批判を受けてきた。ところがこの時期、(日医にとっては折悪しく)新政権発足間もない10月1日、診療側7人中6人が任期満了を迎えたのだ。この機会を新政権が見逃すはずはない、と思ってみていたら—案の定である。
特に、日医のいわば指定席となっていた診療側代表7人中3人が再任されなかったのだ。首になったのは日医の副会長、常任理事2人。替わって選任された委員は、
安達秀樹・京都府医師会副会長
嘉山孝正・山形大学医学部長
鈴木邦彦・茨城県医師会理事
いずれも、民主支持の組織や地方の代表である。安達氏は山井和則厚労大臣政務官と同じ京都が拠点で、早くから民主支持を表明している。嘉山氏は舛添要一・前厚労大臣のアドバイザー的役割を果たしたこともあり、勤務医の利益代表といえるだろう。大学関係者が中医協委員として入ったのは初めてのことだ。鈴木氏は、茨城県医師会長の原中勝征氏の推薦である。
長妻大臣は、記者会見で「中医協は重要な会議。民主党は医療再生を目指している」と、それらしい建前を述べているが、誰が見たって「日医外し」だ。「露骨な報復人事」と日医の中川俊男常任理事は批判しているが、犬の遠吠えとしか聞こえない。
追い討ちをかけたのが、社会保険審議会(社保審)人事である。10月30日、社会保障審議会(社保審)の医療保険部会委員の一部が任期満了を迎えたのに伴い、新しい委員の人事が行われた。
社保審には、医療・介護・年金・福祉の分野別に、分科会・部会があり、そのなかのひとつ医療保険部会は、保険制度について論議が行われる。大きいのは診療報酬の方針を決める作業だ。
医療保険部会の委員は21人。任期満了を迎えたのは6人、うち2人は再任、残る4人が新任となったのだが、日医の指定席はなくなった。新任での注目は諫早(長崎県)医師会長の高原晶氏。
諫早医師会執行部は衆議院議員選挙で、茨城県医師会と並んで、いち早く民主党支持を打ち出した。最終的に諫早支部としては「自主投票」としたが、同医師会がある長崎2区では、自民党現職だった久間章生・元防衛大臣を破って、民主党新人、薬害肝炎九州訴訟原告団代表の福田衣里子氏初当選という金星を挙げた。
こんな経緯を思い浮かべると、来年夏の参院選をにらんだ「ご褒美?」と勘ぐりたくもなる。
いずれにしても「勝てば官軍」、やり放題に見えるが、「政権交代」というのはそういうことなのである。開業医の利益代表者だった日医は、政権与党へのルートを絶たれてしまった。いったい日本医師会はどういう意見をどこに持っていくか、ルートがなくなってしまった。
新聞に、日医会長出馬に名乗りを上げた茨城の原中氏が小澤幹事長と会ったと小さく出ていた。勤務医の処遇を改善すると厚労相は語っている。潮目は変わった。武見太郎以来、自民党との二人羽織を演じてきた日本医師会の瓦解の始まりである。
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