食糧難だった敗戦直後は家庭で狸や狐の肉を食べた。美味くは無かった。流石に犬は食わなかった。大人になって、大舘市(秋田県)で熊を食べる会があって食べたが、それが見合いだった、とは。肉はいくら煮ても赤いままだったせいか、見合いは成立しなかった。
成立したらいまごろは造り酒屋の隠居。生活苦に喘いでいるころだ。婿にならないでも生活苦に喘いでいる事に変わりは無いが。
本当をいえば、子どものころは、農家だった実家では、肉といえば飼っている鶏かシベリアから飛んでくる八郎潟の鴨の肉をたべるぐらい。牛肉、馬肉はおろか、豚肉さえ、生まれて初めて口にしたのは新制中学2年(13歳)の秋だった。美味しかった。
日本人が、奈良時代の675年、時の天武天皇により、牛、馬、犬、猿、鶏を食することを禁じられたが、豚は除外されたこと、明治5年になって、天皇自らが牛肉を食して、一般に奨励したことを知った。
一方、大阪に3年間、勤務して、被差別問題を初めて知り、その遠因が家畜の屠殺にあることも初めて知った。東北地方には福島を除いて、被差別問題は存在しないから、知ったときは驚きだった。
50をはるかに過ぎてから東京でアメリカ女性(ユダヤ系)に数年間、英会話を習ったが、或る時、馬肉を食べる話をしたら、顔が青ざめた。アメリカ人は馬を食わないのを知らなかった。。
また、韓国で初めてオリンピックを開いた時に、韓国政府が、韓国人の食習慣になっている犬食いを控えるよう、お触れを出したのを見聞し、それは、欧米人に嫌悪感を与えたり、軽蔑されるのを恐れた為と知った。
実は動機は全く別のところにあるが、日本人に鯨を食うなという欧米や豪州の要求も、食文化を全面的に否定するもので、ある意味では反民主主義であると考える。
されば、鯨はともかく、日本人の獣肉食の歴史はどのような歩みをたどって今日、家庭での「もつ鍋」に至ったのか。「ウィキペディア」にたよりながら振り返って見る。
日本では古来、食用の家畜を育てる習慣が少なく、主に狩猟で得たシカやイノシシの肉を食していた。
仏教伝来以降は、獣肉全般が敬遠されるようになっていったが、日本人の間で全く食べられなくなったという時期は見られないものの、明治までは常食となることもなかった。
獣肉食に関する嫌悪感も時代と共に変わってきたが、おおむね、狩猟で得た獣肉は良いが家畜を殺した獣肉は駄目、しかも足が多いほど駄目(哺乳類>鳥>魚)と考えられることが多かった。
獣肉消費量が魚肉を上回るのは大東亜戦争後の高度成長期(1960年代)より後のことである。
元々、縄文時代の貝塚跡からは動物の骨も数多く発掘されており、その9割が鹿、猪の肉で、その他にクマ、キツネ、サル、ウサギ、タヌキ、ムササビ、カモシカなど60種以上の哺乳動物が食べられていたものと見られる。
その調理法は焼く、あぶる、煮るなどであり、焼けた動物の骨も見つかっている。また、動物の臓器を食べることで有機酸塩やミネラル、ビタミンなどを摂取していた。
続く弥生時代にも、狩猟による猪、鹿が多く食べられ、その他ウサギ、サル、クマなども食べられている。農耕時代になると、動物の臓器が食べられることは少なくなり、塩分は海水から取られるようになった。
一般に猪は野生のものと考えられているが、発掘された動物の骨や歯の状態から家畜として飼われていたと見る研究者もいる(「弥生豚」)。
古墳時代には薬猟の名で、鹿や猪の狩が年に数回行われ、その肉が薬用として食べられていた。鹿肉と猪肉は共に宍肉(ししにく)と呼ばれた。また、ウシとウマが輸入され、肉や内臓が食用あるいは薬用にも使われた。
豚あるいは猪の飼育も行われており、『日本書紀』安寧天皇11年(西暦不明)の条には猪使連という職が登場する。欽明天皇の555年には吉備に白猪屯倉を置くよう命じられており、569年には功あった白猪田部に白猪史の姓が贈られている。出典:「ウィキペディア」
杜父魚ブログの全記事・索引リスト
4315 豚肉食べたは13歳 渡部亮次郎

コメント