2005年4月27日の盛岡タイムスに「丁字戦法の真実に迫る 岩下秀男氏が山屋他人”海軍戦術”を復刻」という記事が出ている。1993年1月27日から盛岡タイムスは「山屋他人 ある海軍大将の生涯」という129回にわたる連載記事を書いている。
執筆者は同社の社会学芸部長だった藤井茂氏。秋田県大館市の出身で私の旧友。一年前に小和田雅子さんが皇太子妃に内定、盛岡市民は山屋他人海軍大将のひ孫さんの慶事にわいた。それがきっかけで一年がかりで山屋海軍大将の事績を調べたという。2006年に藤井氏は「山屋他人 ある海軍大将の生涯」を盛岡タイムスから出版している。
友人だったので30冊ほど引き受け、知人に配ったが、まだ10冊ほど残っている。今では貴重本となったが、読み返してみても力作だと分かる。2005年の記事は藤井氏が書いたものであろう。法政大名誉教授の岩下秀男氏が海軍大学校での山屋大将(当時は海軍中佐)での「円戦術」講義録を復刻したのも、藤井氏が勧めたのかもしれない。
盛岡タイムスとの縁は遠くなったので、この記事は知らないでいた。岩下法政大名誉教授が山屋大将の孫というのも初めて知った。岩下氏は「謙譲の人 海将山屋他人の足跡」を著している。
それにしても海軍大学校における山屋大将の講義録が残っていたのは驚く。復刻本は200部の限定出版だったそうだが、何かの機会に読んでみたい。司馬遼太郎が「坂の上の雲」を脱稿したのは昭和47年、1972年のことだから山屋大将の講義録を知る由もない。
<「海軍戦術」を復刻した岩下氏
法政大名誉教授の岩下秀男氏=東京都八王子市=は、皇太子妃雅子さまの曾祖父で盛岡出身の海軍大将山屋他人の「海軍戦術」を復刻した。山屋の孫の岩下氏ら親族の枝栄会が出版した。岩下氏は既に「謙譲の人-海将山屋他人の足跡」を著しており、その歴史的資料として「海軍戦術」に着目。日本海海戦の勝機となった丁字戦法の真実に光を当てた。東郷平八郎や秋山真之の個人的決断による艦隊機動ではなく、山屋の理論を通じて科学的に編み出された作戦と意義づける。日露戦争から1世紀の節目にあたって、現代人の読者に伝記とセットで祖父の航跡をたどってほしいと願っている。
「海軍戦術」は山屋が中佐時代に著した海軍大学の講義録で、明治時代の海戦のノウハウが明らかにされている。緒言に「海軍戦術ナル学科は之ヲ座上に論スルニハ佐程六ケ敷モノニアラス砲術水雷航海三科の素養と海上の経験トヲ有スル人即チ当世ノ海軍将校ニアツテハ容易ニ之ヲ解釈シ得ヘキモノナリ」との原文がある。ロシアを仮想敵国に綿密な理論が組み立てられ、当時の軍艦の詳細な兵法に明治の日本人の知見が集約されている。
岩下氏ら山屋を祖父とするいとこ会の枝栄会がこの本の存在を知り、200部復刻した。文語体の原文の口語訳を付けて読みやすくし、教育者の山屋の人となりを伝えている。日本海海戦でロシア艦隊を破った丁字戦法の成立に、実証的なメスを入れた。
解説に「日本海海戦の勝利を決定づけた敵前回頭、いわゆる東郷ターンも、東郷長官の瞬間のひらめきでもなければ、秋山参謀の発案で初めて試みられたものでもない。日清・日露の両戦役をつなぐ10年間の海軍大学校を中心とした、日本海軍の頭脳と努力の集積から生まれたものといって良い」と論評する。
日本海海戦については東郷平八郎や秋山真之の逸話がクローズアップされることが多いが、丁字戦法でロシア艦隊に挑むことは連合艦隊の明確な戦略となっており、その背景には山屋の講義録にある「円戦術」の理論が存在したという。
岩下氏は祖父の海軍思想の核心について「内容を明らかにしたのはこれが最初と思う。実用的価値ではなく、歴史をたどることに重点を置いている。今年はたまたま日本海海戦から100周年にあたったが、直接のきっかけはおじいさんの伝記を書いているうちに、言い伝えと事実が違っていることが分かり、その点を明らかにしたかった」と話し、面影をしのぶ。
「海軍戦術」の原本は秋山が海軍大学教官となったとき出版、配布させたという。秋山が山屋の後任として丁字戦法、乙字戦法(古沢註 司馬遼太郎はこの用語を使った)を軸とした作戦の発想をまとめて実戦に活用したことが「東郷ターン」に結実したとしている。
岩下氏は「雅子皇太子妃のお話からの締めくくりのような気持ちで出版した」と話し、「謙譲の人」と併せて読むことで祖父の足跡を知ってほしいと願っている。(盛岡タイムス)>
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4334 山屋大将の「円戦術」講義録を復刻 古沢襄

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